活動レポート

ニュービジネスネットワーク委員会 大坂上町台地研究会

 11月28日(日)歴史シンポジウムが大阪歴史博物館で127名の参加者を得て開かれた。
 基調講演は大阪歴史博物館館長の脇田先生が担当された。先生によると大坂築城工事が徳川大阪を復興するのに大いに役立ち、最盛期には42万人の人口を擁する都市となっていた。その費用は各大名が負担し、結果としては農民が年貢として取り立てられ、重い負担を強いられていたようである。
 その後のシンポジウムでは、大阪市立大学の仁木先生が17世紀の初頭の大坂のまちの状況を絵地図で示され、四天王寺の門前、渡辺津、天満社門前、大坂本願寺寺内町の状況を話された。大阪産業大学の玉置先生は大坂城石垣は産業革命以前になしえた世界の建設文化の中の最高傑作のひとつであり、世界最大級の石造構造物として、また世界文化遺産としての十分な価値があるという主張をされた。
 最後に大坂城天守閣の中村館長は、コーディネーターとして全体を取りまとめられたが、ご本人のご意見として石積技術者穴太がこの大坂城石垣の普請に深くかかわっていたようである。しかも豊臣の普請だけでなく、徳川大坂城の普請にもかかわっていたとの論を展開された。
 今回のシンポジウムから世界遺産としての石垣の価値や、歴史的な観点からの街づくりの様子をお聞きして、400年前の天満社、渡辺津、大坂城、四天王寺が現代にも生きていることが明確となり、今後の大阪の活性化を考えるヒントが得られたと感じることができた。。

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