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マーク小(社)関西ニュービジネス協議会

NBK17年度活動報告
第15回通常総会 特別講演
 
関西のビジネス −期待と展望−
   
大阪大学 理事・副学長  仁科 一彦氏

<講演内容>

はじめに
 はじめに結論を申し上げますと、大阪、関西に限定せず、日本のビジネスが頑張らないとこれからバラ色の夢は描けない。じゃあどういう風に頑張ったらいいのか。
一つは、世界的、歴史的にみても日本、とりわけ大阪は新しいビジネス、新しい智恵のリーダーだったわけです。これからもリーダーとしてやっていくためには何か道具が要るでしょう。最近の道具としては、情報や、コンピュータ等色々ありますが、私が専門としている、金融工学関係の道具を金融関係に限定しないで、役に立ちそうなところだけのつまみ食いでけっこうですから、利用していただきたい。
それからもう一つは、大学という智恵のかたまりを利用していただきたい。これが、私が今日申し上げたいところの結論です。

世界での日本の位置

 まず、何といっても大阪、関西も日本の中にあります。日本は世界でどうみられているのか、あるいはどういう位置にあるのか、なんですが、最もベーシックな経済の指標である一人当たりのGDPでみれば、経済の大規模な国では事実上世界で2番になっています。これは大したことではないと思うかもしれませんが、ひとたび海外へ出れば、非常に重要な事実です。皆さんはこれだけの大国でビジネスをやっているんだ、ということになります。
 では一人当たりのGDPが最近どういう動きをしているのかといいますと、皆様ご存知のように10年間停滞している訳です。10年前までのようなスピードで拡大し続けていれば、今頃は当然世界一になっています。停滞の理由は色々ありますが、政府や経済政策のせいにするのは簡単ですが、私自身はあまりそうだとは考えていません。
20世紀後半の世界経済のチャンピオンは日本だ、というのは海外でも誰もが納得しています。では、誰がチャンピオンにしたのか。歴史家にしても、経済学者にしても、政治家にしても、日本の企業が日本経済をチャンピオンにした、と皆合意する訳です。経済政策が上手だったからとか、間接金融主体の政策でうまくやったからとか、そういう話はほとんど出てきません。ソニーや松下やホンダなど有名なエクセレントカンパニーがどんどん出てきて、それが戦後の日本を世界経済のチャンピオンにしたんだ、ということが常識になっています。
そうすると、この10年日本経済が停滞しているのはなぜか、といわれれば、その原因も企業が元気をなくしたからだと考える方が無理がありません。
 ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、今韓国の政府は一人当たりGDP2万ドルキャンペーンをはっています。現状では1万ドル強のものを、数年で2万ドルにしようという、ハッピーコリアという大きなキャンペーンです。日本は既に20年前に2万ドルに達しています。それだけ大きな差がありますが、韓国ではサムスンが大きな利益を上げたり、私どもの分野でも非常に画期的なことをしています。10年前に大阪の取引所がシカゴを抜いて1位になったデリバティブのマーケットで、今はソウルが世界一になっていますが、そのソウルのマーケットを韓国の政府は総合先物市場として全部プサンに集めることを決定しているのです。ビジネスのためには金利、為替、商品等色々高度化した複雑な取引をしてリスクコントロールをしなければならない、そのときに1ヶ所でデリバティブ取引が出来たほうがいいだろう、そういう私どもにとっても非常に納得しやすい理由で、1ヶ所にまとめる動きがあるのです。それに対して日本は規制緩和が立ち遅れている、という状況にあります。
 もう一つ、先進国の労働時間についての記事が世界のビジネスマンに読まれているイギリスの雑誌、『ロンドンエコノミスト』に載っていましたが、先進国、特にヨーロッパでは、この20年30年で労働時間を減らしてきています。日本はアメリカと大体同じで、一番労働時間が多い、ということです。経済が豊かになると労働時間が減る、といえるわけですが、この『エコノミスト』の記事はビジネスマンの観点ですから、このままいくとヨーロッパの先進国は経済の博物館になってしまう、と警鐘を鳴らしています。
これからの経済を考える時に、わが国、とりわけ関西のビジネスはこのような世界環境の中でどういう位置にあるのか、あるいは会社で働く人たちの行動、意識はどうなっていくのか、ということは、非常に重要です。
 最初に申し上げたいことですが、一人当たりGDPのような我々がずっと慣れ親しんできた経済学のメジャー、測度というものが最近は代わってきています。例えば隣の家、或いは去年よりもたくさんポテトを消費できた、昔はそれが豊かさでした。しかし現在はそういうシンプルな世界からどんどん複雑になってきて、隣と違うことができる、ビジネスマンでいえば、それまでレディメードではなかった契約や取引ができる、そういうことが可能になる経済が豊かな経済なのだ、そういう議論が出てきております。
又一方で、智恵のある人とあまり智恵の備わっていない人がいれば、富は智恵のある人にどんどん偏っていくでしょう。また、日本はいわゆる悪平等と批判されてきたから、それを直して規制緩和して、市場メカニズムにまかせる。すると、平等ではなくなって貧富の差が拡大します。そういうこともある意味で豊かさの結果だ、ということになるのですね。

日本のビジネス
 日本のビジネスは、貿易でこれまでの地位を築いてきました。貿易というのは相手のあることですから、相手とどういう風にやっていくか、ということが重要でした。おそらく世界ではドイツと日本が一番上手な筈です。それが中国のような土俵ができますと、それまでの非常にクローズドな仲間内だけの取引ではなく、どこから競争相手がでてくるかわからないような、そういうフェーズで競争していく、ということになっていくわけです。いつも競争相手がみえる、というビジネスの時代は終わったのだと思います。そうなると日本には不利な条件がたくさんでてきました。一つは政府の規制緩和速度が遅い、ということ。ビジネスを同じ土俵で出来ない、ということは当然不利なことです。
もう一つ、産業のインフラである金融と農業が日本の産業の中で一番遅れている、ということも日本のビジネス活動にとって不利な条件です。

関西のビジネス
 さて、関西のビジネスですが、歴史をみても、いろいろなビジネスの種、ビジネスの哲学、商売のセンス、そういうものが関西で作られ、全国へ広がっていきました。ですから少し大げさにいえば、日本のビジネスの気が利いたところは皆関西にルーツがある、ということです。リーダー、先導者であったわけですから、これからも先導者であり続けなければいけない。
 ではその関西の環境条件はどうなのかといいますと、これまた残念ながら先ほどの日本企業全体と同じで、特別大阪だから、関西だからといって有利な条件をもっているわけではありません。しかし、一つだけ私どもが海外で威張れることがあります。
 世界の経済学の教科書には「Dojima」という文字が必ず出てきます。これは誇るべきことです。 つい先週か先々週BIS(世界決済銀行)が、世界のデリバティブ取引がとんでもない額(何兆ドル)になっていて、この市場はすごいんだ、と発表しておりますが、そのルーツは堂島にあるわけです。ご存知のように帳合米取引で始まったわけですが、誰が作ったか、というと、商人が作ったわけです。堂島の商人が作ったということ自体を誇っていい。ノーベル賞をもらった人が堂島にわざわざきて花束を捧げたこともあります。デリバティブ取引を世界で初めて考案したことも偉いけれど、本当に偉いのは、それを支えた、積極的に参加した人たちだ、というわけです。

資本主義経済の原点
 これはあまりにも教科書的で、そんな古い話はいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、実はかなり大事なことを含んでいます。まさに資本主義経済の原点であります。
 なぜ米の先物取引を始めたのか、多くの商人が参加したのか、といえば、それは儲けたいから、そうすれば儲かるからです。経済学の古典に『国富論』があります。今から250年位前にイギリスのアダムスミスという人が書いたものですが、その有名な一説にはこう書いてあります。「今日我々がディナーを楽しむことができるのはパンを提供してくれているパン屋さん、ワインを提供してくれている酒屋さん、肉を提供してくれている肉屋さん、彼らが我々のためにと思って慈善心で提供してくれているからではないのだ。彼らは自分が儲けたいと思って商売している。だから我々がこの立派なディナーにありつけるのだ」。まさに資本主義経済のエッセンスがここにあります。一人ひとり、一つ一つの企業が利益を上げるというインセンティブが働き、かつそれを政治が邪魔しない、そういう経済がいい経済であるわけです。
先ほどの堂島も、こういう取引を現物だけじゃなくて先物でやったらいいだろう、そこからはじまったわけですが、皆が儲けたいと思って参加したからマーケットが大きくなり、大成功となった。経済、社会の歴史の学者が皆口をそろえていうように、結果的に日本の米の値段が安定したのです。参加者一人ひとりがとにかく儲ける、儲けるためにアイデア、工夫を凝らす、智恵を絞る、政治はそれを邪魔しない、それが非常にうまくいった例です。だから偉い学者が花束を捧げにきた、ということになるわけです。
「儲ける」ということが社会を豊かにして、生活水準をあげる。儲けようと思えば、工夫する、色々考える、それがまた社会を発展させるのです。いわゆる資本主義経済のダイナミズムというものです。
 先ほどの『エコノミスト』という雑誌が「いい会社」という特集を組んでいますので簡単にご紹介します。 『いい会社というのは儲ける会社』、端的にそう書いてあります。会社が儲けたから(イギリスの雑誌なので)イングランドは豊かになった、イギリス人の生活水準は会社が儲けてくれたからあがったんだ、ときっぱりと書いてあるわけです。返す刀で、そうはいうけれど、企業活動に関する干渉がいろいろありすぎる、とも書いています。やれリサイクルにもっと熱心になれ、環境にやさしくしろ、そういうことで外側からうるさいことを言い過ぎている。EUの会社が他国に投資しようとすると、アラブの国に投資してはいけない、あるいはあの国は独裁者が牛耳っている国だから投資してはいけないと、メディアが中心になって批判してくるが、それはおかしいことだ。独裁者がいようと、労働条件が恵まれていない国であろうと、新しい投資資金が入って経済活動が行なわれれば、その国はより豊かになるんだ、と展開しているわけです。
 つまり会社が元気になるためにあまり足をひっぱらない。日本でも同じことが言えると思います。これからは環境が大事だ、進んで芸術・スポーツを支援するんだ、それは非常に結構なことですが、そういうことをしないからあの会社は駄目なんだ、そういうことをするためにこれだけのお金を会社が出せ、出さないと社会的責任を全うしていないとか、そういうのは企業活動の邪魔でしかない、そういう議論であるわけです。これはイギリスらしい、というか、『エコノミスト』らしい、非常に歯切れのいい議論です。
 日本でも新しいアイデアがでて、規制する法律のないことをやったとします。すると、法律的には問題はないけれど、今度は社会的に、という表現がついてきます。先ほどご紹介しました大阪証券取引所が大成功をおさめた株価指数のデリバティブ取引は、開設と同時に数年でシカゴを追い抜くまでに至りました。そこで何がおこったか。それだけ大きなマーケットになったわけですから、世界中から、ウォールストリートで鍛えた人々が、大勢やってきて、裁定取引等を積極的に行ないました。裁定取引はマーケットにとっては、非常にいいこと、市場メカニズムをより活性化するいい取引なのですが、デリバティブの世界ですから、ゼロサムでして、誰かが儲ければ同じ額だけ誰かが損をしているわけです。主に負けたのが地場、国内の金融関係だったので、当時の大蔵省が取引所に対してこういう裁定取引はけしからんからやめろ、といいました。経済の教科書の中では裁定取引は一番大事な取引、マーケットをマーケットらしく保っておくために大事な取引なのですが、それをやった所が儲けた、という理由でやってはいかん、と。そうなれば、マーケットは死にます。文字通り凋落してしまったのです。
 新しい気の利いたアイデアや智恵を絞って何日も考えて出てきたいい方法、いいビジネス、いい商売だといわれるものに対して前例がないとか、法律でカバーしていない、ということで縛るのはよくないですね。何も経済の言葉で言うレッセフェルで、好き勝手に、ということを言っているのではなく、マーケットがマーケットとして成立するためにはやはり法律を中心としたルールがあって、その中で自由に競争するということがマーケットを栄えさせる、発展させていくことになるわけですから、きちんとしたルールの中で公明正大な競争をしていく、というのがビジネスの基本だと思います。そういう意味で社会的責任、CSRのようなものは(少し大げさに表現していますが)資本主義の原点からみますとあまりいただけないということです。
 さらに、会社の評価は誰がするのか、ということですが、ようするにマーケットです。マーケット以外には評価する場所はない。会社の評価に関しては、原材料、製品価格、果ては企業価値そのもの全てを市場が決めることになります。市場以外の雑音、例えば先ほどのCSRのようなものは入れないほうがいいのです。とにかくマーケットで処理する、というのが我々の経済の原点であります。
 ではマーケットを構成する人はどんな人かというと、先ほどの先物の場合と同じように、儲けようとして集まってくる人たちです。社会のため、日本のためにマーケットに参加しようとする人は(中にはいるかもしれませんが)ほとんどなく、やはり自分のために参加するんですね。典型は金融市場です。皆大事な貯蓄を銀行に預けようか、証券会社に持っていこうか、国債を買おうか、と考えるわけですが、誰でも損はしたくはありませんし、一番有利なものは何だろう、と考えて貯蓄をするわけです。その貯蓄の資金が集まって企業の資本となって、企業活動を支えて発展させていくわけです。大本の資金の出し手からしてもやはり、儲けたい、自分のためだけを考えている。それがマーケットという場所にでてくると、アダムスミスのいうところの「見えざる手」により、とてもうまく機能して一人ひとりのため、社会全体、経済全体のためにもなっている、ということになるわけです。

ビジネスの歴史が教えること
 関西のビジネスは色々な足跡を残しています。日本全体、世界全体でそのビジネスヒストリーがさかんに議論され、観察されています。いくつかにまとめてみます。
 とにかくビジネスにはリスクがつきものです。リスクというのは教科書を読んでもあまりクリアカットな説明はできません。数学的にきちんと定義することはできますが、ある現象をリスクと考える人もいるし、ちがう現象をリスクと考える人もいる。しかし、どんな考え方をとってもリスクのないビジネスはない、というのは誰でも納得できることだと思います。逆にいえばビジネスというのはリスクとどう付き合うか、ということになるわけです。
 もう一つはルール。ルールには法律や規制その他社会のルールもあります。それからも逃れることはできません。短期的にはうまくルールをかいくぐった様に思っても、長い期間でみると結局得にはならないことがよく指摘されます。
 3番目は政府の施策を利用すべきである、ということですが、ただ裁量的な部分が多いわけですから、役に立つところだけを利用していく、例えば特別償却の制度、補助金の制度である等はどんどん利用した方がいいわけです。
 次に、先ほどの『エコノミスト』ではありませんが、いい会社、立派な会社というのは、何で測られるかというと、最終的には儲け、利益で測られる以外ないわけです。いくらフィランソロフィアやメセナで社会活動を支援しても、儲けがなければだめなわけです。市場経済である限り、儲けが基準になる。お金を出す人側も結局は儲けのことを考えているわけですから、利益を追求してくる。そこで両者の利益が一致するわけです。そうするとやはり市場以外の評価というのは無視したほうがいいでしょう。先ほどの社会的責任もそうですが、例えばあの会社は同業他社に比べてROEが低いとか、あるいはアメリカに比べてEVAが低い等、そういうことはほとんど意味がありません。それに耳を貸す必要はない、ということです。なぜかというと、これも市場経済、資本主義の大本の繰り返しになりますが、会社のパフォーマンスというのは市場で測られてその市場でついた値段以外にはないわけだからです。その値段でその気になれば会社の売買もできるわけですから、そういう観点でいくと、会計上の数字をいくつかもってきて、これとこれの比率がいいとか、悪いとか、大きいとか、小さいとか、それを改善しろとか、そういう議論はほとんど意味がないのです。外側からそういうことを強要して、それを真にうけてその数字を追求してもほとんどいいことはありません。

リスクへの対処
 先ほどリスクのないビジネスはない、と申し上げましたが、じゃあ会社として、リスクにどう対処するか、というのが最後のテーマです。
 エグゼクティブの方が心配するのがリスクですよね。ビジネスにはそもそも気がつかないリスク、気がついているけれども正確に測れないリスクが常にひそんでいます。そういうリスクにどう対処するかということです。これは私のように抽象論をやっているものには、あまり深刻ではないわけですね。お話として、理屈として、こういう場合にはこういう道具を使う、あるいはこういう考え方を使えばいいはずだ、という議論はできます。しかし現場でビジネスやプロジェクトを考える、決定する立場にある方にとっては、お話ではすまないわけです。ですから、冒頭に少し申し上げましたように、一番使いやすく納得できるような道具を使っていただきたい、ということになります。例えばミニマックス。これは非常に古くから使われている考え方。一番悪いシナリオを考え、ここまではいける、他でカバーできるということになればいきましょう、という考え方。次に、VaR、これは主に金融機関がリスクコントロールにここ5?10年の間に使い出した言葉で、考え方はミニマックスと同じです。あと、βリスクという新しい考え方もあります。経済活動は単独で動くことはほとんどなく、為替から、金利から、いろいろな指標などと連動している、その連動の程度を考え、リスクを知ろうとする考え方です。
 それから保険もリスクコントロールの非常に重要な道具です。むかしは、皆で少しずつ保険料を積んで災害にあったらそれをまとめて面倒をみましょう、というそういう議論だったのが、今ではデリバティブの論理が入ってきまして、たくさんの人を前提とした論理で保険を考える必要はない、という様に変わってきています。例えば地震保険というのは昔は保険料の設計が難しく、非常にコストの高い保険だったのですが、デリバティブの考えを使って合理的な設計ができるようになっています。
デリバティブというのはある人の表現を借りれば、戦闘機のようなものです。つまり、非常に便利でパワーがあるが、正確に理解しないで使うのは危険だ、ということです。
なぜそんなに危険な(庶民的な言葉を使えば)博打に近いようなものを我々の経済は必要としているのか、ということですが、先ほどの資本主義の大本にかえってください。現在の豊かさとは去年より、隣の家よりポテトをたくさん食べられるようになった、ということではなく、自分の思ったことをやりたい、自分で考えた消費をしたい、オーダーメードの経済活動をしたい、ということである。その豊かさを可能にするのはデリバティブなわけです。
大学にも最近ベンチャー企業が増えています。アイデアと智恵で勝負していこう、という会社なんですが、そういうところではいろいろな契約をする際に認知度が低いものですから、不利な条件でしか対応してもらえない。そのときにデリバティブを使う。相対取引、つまりA社とB社で取引をする場合でも、デリバティブの理論を使えばあたかも大きなマーケットで不特定多数の人が集まって取引してついたのと同じような値段を計算できます。こちらが弱者であっても、ファイナンスの世界、金融工学の世界で導き出した定理、あるいは法則を使って出した計算により、相対ではなく、マーケットメカニズムに従って取引をした結果の価格を知ることができるのです。ですからデリバティブは急激に世界で拡大しているのです。
 ある経済学者が「複数の卵を一つのかごに入れてはいけない」、つまり分散しろ、ということをいっています。あるところが駄目になっても、他でカバーしてくれるだろう、そういう抽象的な話なのですが、これは最先端のビジネスでもリスクコントロールの手段としてまだまだ生きています。この概念は50年も前、アメリカの東海岸と西海岸で同時に新鋭の経済学者2人が発表し、2人ともめでたくノーベル賞を受賞しました。ようするにビジネスには全てリスクがあるわけですから、資源を分散してトータルにコントロールしていくのがいいのだ、ということです。ヘッジファンドというのもまさにそういうものです。為替や株式、債券、そういう誰にも馴染みのあるものに金だとか、銅、あるいは大豆、そういう商品を必ず一緒に入れるわけですよね。なぜかというと、リスクの特性が全く違うから、リスクを相殺する効果があるからです。そんな危ないものを入れて、と思いがちですが、そういうものまで動員することによってトータルなリスクリターンのパフォーマンスがあがってくる、ということです。

最後に
 このように、日本のビジネス、関西のビジネスのこれまでとこれからを考えてみて、私自身としては少なからぬ期待を抱いています。
 では具体的に活性化するには、もっと平たくいえば儲けを追求するにはどうしたらいいのか、というとやはり投資なんですね。
今のビジネスを守る、ということだけでは、資本主義のダイナミズムと両立しません。新しく智恵を絞る、新しいアイデアを出していく、そのためには投資が必要です。
投資にも色々ありまして、華やかなものとしてはいわゆるR&D、それから既存のものを改良していくのももちろん投資です。経済学の教科書には全部そういったものも投資支出として入れています。或いは中国の一部の企業のように真似をすることだって投資の一つなわけですよね。それが起爆剤になって大きく花開けばルーツは何でもいいわけですから。花を咲かせるためにはやはり投資が必要になります。
 さてその投資をするときにひっかかるのがやはりリスクです。リスクをどうするか、どう対処するか、私は科学的な手法、アプローチ、道具を使っていただきたいと思います。
今ではソフトウェアが非常に進んでいて、デリバティブの最先端の公式、数学的な公式もパソコンのソフトとして売られていますから、そういうものを使って計算してみる。あるいは、計算の前にキャッシュフローの数字を作って観察する、そこからスタートする、ということが大事かもしれません。同じことはマクロ経済政策についても言えます。今はもうリタイアされていますが、金森さんという有名な経済学者(彼自身は評論家、とおっしゃっていますが)がおられます。一時日本の銀行や様々な民間・政府の研究所が日本の経済モデルなるものを作るのがはやりました。すると貴重な能力とエネルギー、コンピューターを使って日本経済の数学モデルを作るのは無駄じゃないか、という批判が出てきた。金森さんは、いやいやそうじゃないんだ、そういう予測でできる数値がいいか悪いかよりも、そういうことに参画して経済の実態をみる、あるいは数字をきちんとみる、ということが参画した人の役に立つんだ、というふうにおっしゃいました。企業の場合も同じでして、リスクコントロールのためにはやはり数字でアプローチすることが大事だと思います。リスクがらみの数字、キャッシュフロー、あるいは金利でも為替でも株価でも何でも結構ですので、それを企画スタッフ、財務スタッフの共有物とする。それに大学が開発した色々な道具を使っていただきたい。ナノやバイオなどの分野では、最先端の大学の成果を製薬会社などがすぐに使うので、商売と密接な感じがしますが、経済分野の大学の成果はビジネスにはあまり役に立たない、とおっしゃる方がいらっしゃいます。残念ながら、日本発の経済理論、ビジネスの道具が世界を席捲したというのはまだありませんが、アメリカの最先端の経済理論はビジネスの世界でも幅広く利用されています。こちらの方はこれからの活性化のために役立つことは間違いないと思いますので、経済やビジネスの分野でも大学を大いに利用していただきたい。大学の方でも門戸を広くしまして(法人化したこともありますし)、いろいろな分野、研究所、学部でビジネスの方を歓迎する姿勢でおりますので、ご利用していただきたいと思います。

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