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 広報誌『ザッツNB』特集記事

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関西大学における起業家育成と知的財産戦略
関西大学 小幡 斉 副学長

 1、はじめに
 1922年本学の第11代学長となった山岡順太郎(関西財界の巨頭)は、関西大学の建学理念として「学の実化」を説いた。学の「じっか」ではなく「じっげ」と読む。「学理と実際との調和」を主張し、「学問の社会化」をはかることを教えている。今日の起業家精神はこの教えに合致しているように思う。
 わが国の産業における国際競争力の低下を防ぐために、社会全体の活性化が求められ(※1)、明るい未来を切り拓くために、今や創造性を重視する環境整備に向けた改革が必須となり、むしろ、最近、高等教育機関にあっては、産学連携は推進されるべきであるとの傾向がますます強くなっている。
 大学等は、企業の研究開発では生まれにくい発明を創出し、それを社会へ還元する役割を担うべきである。すなわち、知的財産に強い大学の実現のためには、この機能を十分に果たすことができる知的財産管理機関を早急に整備することが重要である(※2)。

2、知的財産に強い起業家育成
 最近までは、大学教員の使命は、教育・研究と社会貢献であると言われ、特に研究が最優先されてきた。教員の研究評価は、学会でどのような講演をしたか、またどのような論文を学術雑誌に掲載したかが重要とされていたため、一般の教員は、新しい発見をしても急いで学術論文には投稿するが、知的財産確保の手続きを行うことは稀であった。
 従来、大学には優れた発明が生み出されても、それを権利化し、その成果を経済・社会へ還元する知的創造サイクルが十分に整備されていなかった。また、教員の意識も、教育・研究には熱心であったが、その成果を社会へ還元させることにはあまり関心を示さなかった。しかしながら、今日大学が社会のニーズに応えるには、世界的レベルの研究開発を進め、速やかに知的財産を生み出せる環境を整備し、さらに、その研究成果を権利化して社会に還元するシステムを至急に確立していかなければならない現況にある(※3)。
 そこで、論文発表前に特許出願を済ませ、知的財産を意識する環境を整備して若手研究者や学生を育てることができれば、技術と知的財産に強い起業家が育ち、いずれは弁理士に頼らず、個人で特許出願できるようになると考えられる。
 大学発の起業家を輩出するようになるためには、次のような6つのポイントが大切である。
(1)学部・大学院におけるアントレプレナーのための動機付けが必要、
(2)世界に発信するための外国語教育の充実、
(3)研究に基盤を置いた教育内容の充実、
(4)分野横断型専門教育内容の充実、
(5)総合大学を活かした学内共通講座の充実、
(6)産学協同支援体制の充実等が重要である。
 大学は社会が求める人材の養成のため、新たな事業の創出により、その存在感を発揮しなければならない。競争的環境の中に身を置いていることを強く自覚する必要がある。

3、知的財産に強い大学の実現に向けた戦略
 最近、関西私立四大学(関西大学、関西学院大学、甲南大学、同志社大)は、大学が有する知的財産管理体制の強化発展を狙い「関西私立大学知的財産管理体制強化連絡協議会」(略称・知財協)を設立した。ここでは知財管理担当者を中心に、管理を総括する教育職員が顧問となり知財管理体制の構築、運営などに向けた情報交換やセミナーや講習会などを行っている。なお、当大学は2002年度に特許庁の知的財産管理アドバイザー派遣事業(全国5大学)に選ばれ、知的財産の管理体制づくりが先行していることから、現在、代表幹事を務めている。知財協では、各大学とも学内に膨大な知的財産を有することから、それらを活用して新産業を創出することが大きな社会貢献に繋がり、かつ緊急の課題であるとの共通認識を持ち、知的創造サイクルにおける知的財産の「創造」「保護」「活用」と、これらを支える「人的基盤の充実」の4つの分野において、知的財産に強い大学の実現に向けた戦略的な対応を進めている。
 関西大学が知的財産として確保している特許の出願件数の約10倍を、近い将来、知的財産として取得できるようにするには、毎年、国内外で講演されている約1200件の研究成果の内容を目利きできる人材育成が必要である。関西大学には、2年前より特許庁から知的財産管理アドバイザーが派遣されており、知的財産に対する教員の意識改革と知的財産管理体制の構築に努力するようアドバイスを受けている。その成果の一端として、大学発ベンチャーでは、
(1)ライトニックス(工学部)、
(2)関西総合情報研究所(総合情報学部)、
(3)e-kikai(工学部)、
(4)研晴(先端科学技術推進機構)、
(5)ビックワールド(工学部)等を設立させている。
 知的創造サイクルの確立は、最終的に大学の質の向上に繋がることは確かである。その活性化策として、大学における研究費の成果配分制度の確立、知的財産の取得数や主要な学術雑誌での研究評価などを研究業績へ加味する。また、賞与等にも反映させるなどの成果主義を徹底し、研究者のモチベーションを高める仕組みを構築することが重要であると考える。大学の知的財産戦略は始まったばかりであり、「企業家講座」は、現在成長途上にあるベンチャー企業であったり、あるいは設立しようとしている、まさに現在進行形の生きたテーマを講義対象にせざるを得ない。
 スタートしたばかりの「起業家講座」は、現実の実践と遊離せず、多くの専門家に協力を仰ぎながら、取り組んでいくことが大事である。

4、今後の取り組み
(1)まず、本学は早急に知的財産本部を立ち上げ、関西大学の個性と総合力を活かして、学内外の各種組織と連携しながら、知的財産の創造・保護・取得・管理・活用等を戦略できる体制を整備し、学内外に対する窓口を明確化し、企業とのマッチング、ベンチャーの創出や起業家の育成にも十分に取り組む必要がある。
(2)インターンシップは産学連携の中で捉えられており、知的財産教育、大学院での技術経営大学院(MOT)などのプログラムが遅れていることから、総合大学の強みを生かし、早急に取り組む必要がある。特に産学連携に対しては、大学の顔が見えてこなかったことから、関西大学120周年を迎えるにあたって、主な企業のトップと大学との産学連携サミットの開催等が大学の発展に有益になる。
(3)本学の産学連携は、幅広い大中小企業との連携に軸足を置いて推進していきたい。関西地域との包括提携や行政機関との具体的な提携により産学官連携を進めることが、社会貢献という大学の使命と明確になるであろう。

5、参考文献 
(※1)知的財産戦略大綱、知的財産戦略会議(内閣官房)、2002年7月。
(※2)知的財産基本法、第一章 総則(大学等の責務等、第七条)、2002年11月。
(※3)「大学における知的財産管理体制構築マニュアル」特許庁、2002年。

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平生釟三郎にみる起業家精神
甲南大学 吉沢 英成 学長

 この世に労働の分業(division of labor)ははっきりと存在するが、同じく道徳の分業(division of moral)というのが存在するのかどうか、未だ明確にせぬまゝうち過ごしてきた者が、そしてビジネスをbusyの名詞形business(忙事)と考え不精を決めこんで可能なかぎり避けて来た者が、起業家精神なるものにコメントするのが適切かどうか、はなはだ心もとないところであるが、私ども甲南大学の創立者、平生釟三郎の事績を例に、大学からみた起業家精神について、日頃考えていることの一端をご披露することにしたい。
 平生釟三郎(1866?1945)は、東京海上火災の中興の祖として名高い。平生は、経済界では、川崎造船所(現川崎重工)の再建にも貢献し、日本製鉄を戦時体制へむけて経営合理化することにも辣腕をふるった。生活共同組合の設立にも、そして甲南病院の開設、運営にも大いに心を砕いた。実業の世界でこのように多忙を極めるなか、40歳台の半ばぐらいから、教育の重要性について、ことのほか強く認識するに至り、幼稚園をはじめ、小・中学校の設立に奔走し、1919年、のちに旧制高等学校、新制甲南大学へと発展する甲南中学校を開設した。
 こうした平生の事績は、いま現在使われている言葉の意味では、起業にはあたらない。起業というと、なんとはなしに営利企業つまり利潤を生みだす企業活動のイメ?ジがあるので、生活共同組合や教育活動などは起業の業にはあたらないとされそうである。しかし業のもともとの意味は、しごと、つとめ、である。たとえば卒業とは学ぶつとめを修了する意である。つまり起業とは、必ずしも営利企業を起こすだけに限るのではない。業が生協であろうが、病院であろうが、もちろん教育事業であろうが、こうした活動組織を起ちあげることを、広い意味で起業といってよいのである。また衰微しつつある活動組織に活気をとりもどすようにすることも、いわば再起業であり、ルネッサンス(再生)あるいはrestore(復興する、中興させる)とも呼び、restructure(改造する)を語源とする、いま世の中を徘徊するリストラとは生まれも格も違って、極めて高い評価が与えられたことがらである。それは普通に使われている起業以上に大きな意味のある起業である。また営利の利の字は、利潤、利益のかたちで使われ、企業のイメ?ジと結びつけて、儲けの意味とされている。しかし利という字の成り立ちからすると、穀物を耕す鋭い道具といった意味で、役立つ、便利、あるいは、不完全なところがないようにする、といった意味である。儲けにならなくとも、また時間が過ってから役立つこと、公益へむけての活動も、もともとの意味からすると営利活動だとも言えるのである。こうした観点からすれば、平生は、本来的に、起業家であり、起業家精神の横溢した人物であった。
 ところで、平生が40歳台の半ばに教育活動をはじめたころ、人生三分論の心境であったという。青年期のはじめは「教育を受ける時期(修業の時代)」、壮年期には「全力で働く時期(仕事の時代)」、老年期に入って「社会に奉仕する時期(奉仕の時代)」の三時期に分けられる。東京海上を全力で盛り上げてきた平生が50歳を前にして自らの仕事の視野を社会への奉仕に広げようとしたのである。甲南学園の設立は奉仕の一つであった。甲南病院の設立もその一環である。教育にあたっては、「小ニシテハ、一身一家一族ノタメ、大ニシテハ人類社会国家ニ貢献シウル人物ヲ造ル」ことに努めるのであり、「学校ハ先生ノタメニツクッテアルノデハナイ。生徒ノタメニツクッテアルノデアル。ダカラ先生ニハ生徒ノタメニナルコトハ、何デモシテモラワナケレバナラナイ。」と言い、病院は「病人ヲ本位トシタ『病メル病人ノタメノ病院タラン』」。さらには奉仕として政治にもかかわることになった。昭和11年から翌年にかけて文部大臣を務め、ブラジル経済使節団長となり、川崎造船所や日本製鉄など実業へのかかわりも、この奉仕の時代に入ってからで、すべて奉仕の精神によっていた。しかしそれは平生個人の報酬を返上するとか旅費を自費で負担するというすがたであらわされてはいたが、仕事に打ちこむ情熱という面では、仕事の分野が大きく広がっているという違いがあるだけで、東京海上での活躍と変るものではなかった。
 東京海上の専務を務めていた1922年、関東大震災が起り、会社がこれにどう対応するかが大問題になったとき、平生は、約款上は支払の義務はないが、被害の大きさ、東京海上のもっている力等を考え、「寄付または見舞金のかたちで、被災した被保険者に対して相当の金額を支出する」のが、社会の利益を広く考えたとき、適切であると主張した。また、川崎造船所の建て直しにとりかかったのは平生68歳の時であった。川崎造船所を企業として整理してしまうのではなく再起業する必要を説いたのは、神戸市民の生活のなかで、川崎造船所がもっている役割の大きさからであった。整理してしまえば多くの従業員が路頭に迷い、関連会社も、その従業員も、さらには他の神戸市民も絶大な負の影響を蒙ることになる。それを避けつつ、川崎造船所を企業として再起業化することを目ざした。これらはいずれも平生が営利組織の立場と公益の立場とを両立させる、あるかなしかの狭い急峻の屋根を登ろうとしたことを示している。成功の可能性の小さな企てを試み、成功させたのである。
 平生の活動が示していることは、人生三分論というより、三つの要素が同居している人生である。われわれは平生から、人生三分論というより、人生三並論を学ぶことができるのである。学び、励み、奉仕する、の三要素を、その時々の状況に応じ、ダイナミックにバランスさせていく必要を教えてくれているのである。人生全般について言えるだけでなく、企業のなかにあっても、起業にあたっても、再起業にあたってもこれら三要素をいかにバランスさせるかが極めて重要であることを学ぶことができる。
 ふりかえって、現在の高等教育機関としての大学からみると、学生一人ひとりに、広い意味での起業家精神、すなわち、人生を起ちあげていくにあたっての、人生の三要素を学びとるよう、場合によっては、分野によっては企業起ちあげの芽をつくるよう教育する役割を担っているのである。また研究機関として、個々の教員あるいは教員のグループが研究活動において全員が起業しているようなものである。なかにはビジネスに直結する起業活動を担う研究活動もあるのである。これは、創立者に平生釟三郎という具体的な模範を身近にもつ甲南大学だけでなく、大学一般にあてはまることである。すなわち、「一身一家一族」のためにも、「人類社会国家」のためにも、そして中間の地域社会やカンパニー(企業や仲間)のためにも、学び、励み、奉仕する三つの要素をバランスさせる精神をもって貢献する人材を育て上げることである。
 こうなればビジネス界にもニュービジネスの世界にとっても、そしてわが国にとっても一段と格調の高い活気がもたらされることになろう。

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実学志向への新たな取り組み−起業家養成への試み−
大阪経済大学 渡邉 泉 学長

 1989年12月29日に38,915円を記録した株価は、長引く不況を受け、2001年5月7日小泉政権発足時には14,529円にまで下げた。2003年4月28日には7,607円の最安値を記録し、スタート時の2分の1近くまで下落したことになる。大都市圏の地価は、ピーク時の4分の1以下になった。試算によれば、日本の正味財産は、1990年から2001年の間に、645兆円をも失ったことになる。国民1人あたり、新生児まで含めて、なんと500万円もの身代を叩いてしまった計算になる。
 その後、アメリカの株高に支えられて株価は、2003年6月17日には一時9,000円台に、8月末から9月にかけて、政局の動きを見ながらも10,000円台にまで回復してきた。2003年3月決算に見られた業績回復は、主にリストラによって支えられ、幾分株価の回復は見られるものの、必ずしも景気そのものが上昇の気配をみせているわけではない。各企業は、熾烈な競争への生き残りとグローバリゼーションへの対応をかけて否応なくコスト削減を強いられ、長きにわたり育んできた終身雇用と年功序列型賃金をベースにした日本的な経営形態は、職能に応じて支給されるアメリカ的な経営へと変貌しようとしている。

 従来のOJTによる企業内研修制度は、それにかける時間とコストの見直しが迫られ、即戦力としての人材確保の有用性が主張されるにいたった。それに伴い、大学に対する企業側の要望もまた、即戦力としての人材育成へとシフトしてきた。医学や理工学系統の分野では、早くから、大学と企業は、一体になって、新薬や新技術の共同開発を行ってきた。しかし、経済学や経営学を中心にした社会科学系統の学問分野においては、大学における理論研究と企業の実践とが必ずしもうまく整合せず、両者の間には、埋めがたい溝が横たわっていた。その結果、大学では、理論分析が中心になり、いわゆる文系の学生諸君たちの即戦力としての実践適応能力を訓練するカリキュラムは、余り提供されてこなかった。自ら企画・立案し、自ら実行・マネジメントしていく実践的能力を在学4年間で培うための講座が、ほとんどの大学において、開講されることはなかったといってよい。
 近年、われわれをとりまく社会環境は、大きく変貌し、大学が大学だけの独自の世界で存在することが許されなくなってきた。単に医学や理工系だけではなく、社会科学系の学問分野においても、現実社会への役立ちが重視され、それに対応する研究が必要とされるにいたった。それと同時に、単に各研究者の個別的な研究上の問題に止まらず、教育の観点からも、実社会に直接適応できる若者の育成が重要になってきたのである。
 このような状況下で、時としてアイボリー・タワーと揶揄されてきた大学は、今やその変貌を余儀なくされた。従来までの教壇から机に向かっての一方通行による講義形式から学生の主体的な参加方式による授業形態へといわばコペルニクス的転換が要求されている。大阪経済大学は、2002年9月30日に創立70周年を迎えた。これを契機に、企業社会・地域社会・国際社会に開かれた大学を目指してさまざまなプロジェクトを立ち上げた。本年度は、さらに一歩進めて、これら三つの社会から現実に評価される大学を目標に活動している。この間、各学部は、人間的実学を実現するための実践的・実学的講座として、企業のトップを招いての特殊講義(経済学部)、キャリアサポート特講(経営学部)、キャリアブリッジ−就職支援・自己啓発講座(経営情報学部)、フィールドワーク−集団体験学習(人間科学部)等のさまざまな創意・工夫を行ってきた。他方、企業との連携をより深めるために、インターンシップ(2003年度実績で約170社、実習学生約380人)や経済学オープンカレッジも開講し、さらにプレゼンテーション能力、コミュニケーション能力、マネジメント能力、といった卒業後の実社会においてもっとも要求される力を身につけてもらうために、今春より参加型の講座「基盤能力開発講座 OSAKA BRAND 03」を開講した。これらさまざまな改革への試みは、これからの大学において、従来までの基礎理論をしっかりと教育して行く重要性と共に、実社会に適用できる応用理論の充実も同時に欠かせないとの共通認識にもとづいて行われている。これは同時に、アントレプレナーの養成にも欠かすことのできない能力の育成に大いに有効であると考えている。具体的な試みとして、以下の三つの講座を紹介することにする。

 第一に、現在の日本の政界、財界、学界、文化・スポーツ界の各分野の第一線で活躍の方々を迎え、「21世紀の日本を拓く」というタイトルのもとで開講した大阪経済大学創立70周年記念講演会である。選りすぐりの日本のトップで活躍中の約120人による熱きメッセージは、確実に、学生諸君の心の中に変貌の兆候を揺り起こしている。この講演は、今夏の8月25日に「21世紀の日本を拓く 経営者からのメッセージ」と題して、日本経済新聞社よりその要旨をまとめて上梓した。迷走するわが国の経済状況の現状を正確に認識し、少しでも改善していくヒントになれば幸いである。
 第二に、2003年4月からスタートさせた「基盤能力開発講座 OSAKA BRAND」は、われわれ教員が教壇に立って講義をするのではなく、学生諸君がチームを組み、自らの新たな発想やアイディアにもとづき新しい大阪ブランドを創り上げようという、極めてユニークな講義である。大阪を活性化させ、日本を復活させるために、アントレプレナーの精神を育成しようというものである。現在の若者に一番欠けているプレゼンテーション、コミュニケーション、マネジメント、チームワーク等の能力を現実に身につけてもらおうというのが真の狙いである。優秀作品を表彰し、その商品化を大学としてサポートしていく。
 第三に、社会科学系の専門大学での実学講座をより充実させ、具体的に展開させていくために、2003年度の秋学期から「先端産業論−先端技術の産業動向−」、「先端産業論−新しいビジネスモデルの設計−」という講座を経営情報学部の特殊講義としてスタートさせる。21世紀は、IT・バイオ・ナノテク・エネルギー等の先端技術の時代といわれている。これらの産業分野で先端技術を開発するための資金調達、あるいは開発された先端技術を実際に商品化、販売していく経営戦略を打ち立て、最先端の企業から講師を迎え、新しいビジネスモデルを学生たち自身の手によって開発させる。
 今日、大学は、大きな転換期に直面している。大学が大学として社会の中でいかなる責務を果たし、そのレーゾン・デートルを示していくのか。今、その真値が問われている。大阪経済大学が試みるこれらの新しいプロジェクトの根底には、建学の精神である自由と融和を基軸に据えた人間的実学の精神が脈々と流れている。これらの様々な試みは、本学の研究成果と教育成果を社会に還元したいと強く希望した第一歩に過ぎない。今後とも第三者評価を積極的に取り入れ、大学としての責務を果たして行きたいと希望している。

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知的勇気と行動力を有する人材の養成 起業家精神が渦巻くキャンパスへ
立命館大学 川村 貞夫 副学長

1.知的勇気と行動力が未来を救う
 「大学発ベンチャー」という文字が、日々の新聞紙上を飾っている。「大学発ベンチャー」が、閉塞感漂う日本経済の救世主として、政府や自治体、産業界から異常なまでの期待を集めている。このことは、大学経営にたずさわるものとして、その責任の大きさを感じる。直接的に日本経済を牽引するほどの「大学発ベンチャー」が期待通りに次々と登場するかどうかは別問題として、「起業家」あるいは「起業家精神溢れる自立的人材」が増えてくることこそが、キャッチアップ型からフロントランナー型に転換しようとしている我が国経済にとって、極めて重要であることは確かである。
 いくら科学・技術が発展しようとも、いくら優れた経営モデルが確立されようとも、組織を活性化し、イノベーションを繰り返していけるかどうかは、結局組織を構成している「人」に依存している。既存の概念に捕らわれない知的な勇気を持ち、実際に行動を起こせる人材が必要とされている。知的勇気と行動力は、起業家だけに求められるものではなく、広く創造的な人間に求められる素養と思える。現在の日本の各分野で、このような素養が多くの人に必要となっている。

2.立命館大学のベンチャー・インキュベーション
 「大学発ベンチャー」という表現は幅広い意味で使われている。ただし、主として大学における先端的な科学・技術を活かして「テクノロジカル・ベンチャー」の設立を指している場合が多い。これは基本的に大学で生み出される科学・技術に注目し、それらを社会に移転し活用することにより新産業の創出を目指している。従って、その知的資源を生み出す教員や学生が、経営者(あるいは技術顧問)の対象となる。
 立命館大学においても、2000年頃から理工学部の教員自身による起業が相次ぎ、また起業を視野にいれて研究開発等を進めているケースも多い。中にはベンチャーキャピタルから出資を受け、着々と株式公開を目指している企業もある。こうして誕生した「大学発ベンチャー」が「地域経済・日本経済に貢献」することは、まさに現在、大学が社会から期待されている役割である。立命館大学はこうした典型的な「大学発ベンチャー」を数多く創出したいと考えており、知的財産権に係る推進体制の整備、起業家の経営等を支援する体制の整備、兼業問題を含む利益相反マネジメント体制の整備等を進めている。
 しかし、立命館大学にとってのベンチャー・インキュベーションには、もう一つ重要なコンセプトが含まれている。それこそが上述した「知的勇気と行動力を有する人材の養成」である。対象は主として学生であり、場合によっては卒業生等の社会人を含む。学生自身の起業に対する意識も確実に変わりつつある。確かに就職においては、就職しない(したくない)フリーター問題や「寄らば大樹」の有名企業志向偏重傾向もあるが、その一方で、立命館大学の新入生アンケート(2001年度)において起業家志望者が4.5%となり、従来にない傾向を示している。また、大学コンソーシアム京都における起業家学校やインターンシップベンチャーコース等が人気を集めていることなどから、視界不良の社会を生き抜くために自立しようという意識が学生自身の中に生まれつつあることがわかる。こうした学生が、「起業家精神溢れる自立的人材」として成長できる環境を大学が整備すべきと思われる。
 立命館大学びわこくさつキャンパス(BKC)におけるベンチャー・インキュベーション施策はまさにその点を重視し、経営学部における「企業家養成コース」の展開、起業サークル「ベンチャー・ビジネス・コミュニティ(VBC)」の活動支援、ベンチャーを志す学生団体の活動拠点として運用する「BKC学生インキュベーションルーム」等を展開してきた。特にVBCは先駆的な動きであり、構成メンバーによる学生ベンチャー企業も既に数社設立された。経済・経営・理工学部の学生が混在しながら熱心な活動を続けており、今後更に新しい企業が誕生することが期待される。また、地元草津市と連携し運営する、南草津駅前の市民交流プラザ「情報産業起業支援室」には立命館学生専用のスタートアップ・ベンチ(5ブース)が設置され、アジアからの留学生を含む起業志望者たちが起業準備活動に取り組んでいる。

3.起業家精神が渦巻くキャンパスへ
 こうした展開を積み重ねてきた結果、来春には地域振興整備公団によるインキュベーション施設がBKC内に設置されることとなった。約2,000平方メートル、20数室の本格的インキュベーション施設であり、地域振興整備公団、滋賀県、草津市、立命館大学が協力して運営にあたる。BKCにとってはベンチャー・インキュベーションへの取り組みの象徴的施設、核となる施設が誕生することになる。起業と係る教員・学生のみならず、卒業生をはじめとした学外起業家、更に起業家を支援しようとする支援家、支援団体等が集う、まさに象徴的施設となる。大学にとって、キャンパス内にこのような施設が設置される効果は大きく、今後の成果が期待される。
 具体的には、以下ような内容が期待されている。
(1)入居企業と大学教員・学生とのコラボレーションによる研究の高度化が
   大きく進展する。
(2)学生・ポスドクなどの若手研究者が当施設を有効活用してベンチャー
   設立をチャレンジしていく動きが加速する。
(3)学生が入居ベンチャー企業においてインターンシップに取り組んだり、
   入居ベンチャー企業を支援する活動に参加することで、学生の創造力や
   自立精神を醸成する機会が拡大する。
(4)直接的に参加した学生を通じて、「知的勇気や行動力」の充実感が、
   周りの学生にも良い影響を与える。 キャンパス内でこうした動きが拡大
   し、それが積み重なることによって、キャンパス内の風土自体が、より
   活性化したものとなる。
 もちろん、当施設の整備をもって「起業家精神が渦巻くキャンパス」が完成するわけではなく、多くの課題を抱えている。例えば起業関連のプログラムはまだまだ不十分であり、MOT大学院の設置や既存カリキュラム改革などにも取り組むべきである。大企業や地元企業と連携した社会人教育に対する社会的ニーズも大きい。また、知的資産の源泉ともなる産官学連携の研究プロジェクトも一層の強化が必要である。
 1994年BKC創設から、今年は10年目を迎える。産官学連携からベンチャー・インキュベーションへのBKCの一連の取り組みは、相当の成果につながっていると確信している。今後は新たなステージとして、上述の課題を克服し、「知的勇気と行動力」を有する人材を数多くBKCから輩出し、その結果「起業家精神が渦巻くキャンパス」としたい。それこそが、科学・技術に対する貢献であり、日本経済に対する貢献でもある。

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研究から教育の産学連携へ −出でよ学生起業家
同志社大学 八田 英二 学長

1.産業界と大学
 かねてより大学は教育・研究により「知の伝達」と「知の創造」を担当してきた。加えて近年は、産学連携による「知の活用」が求められている。たしかに大学に埋もれている研究成果の発掘や紹介、民間研究者との共同研究は新たなビジネスチャンスの宝庫だ。大学にとってこれは新たな社会貢献と収入構造の多様化という両面をもつ。動機は何であれ、技術立国の復権が叫ばれる今日、産学連携への期待は高まる一方だ。
「連携」という語を『広辞苑』で調べると、「同じ目的を持つ者が互いに連絡をとり、協力し合って物事を行うこと」とある。この定義に従えば、産業界と大学との協力関係の歴史が浅いことは一目瞭然だ。長らく両者の関係は一方通行にあり、大学は産業界への人材供給機関として位置づけられた。かつては産業界と大学が絆を深めることなど論外で、1960、70年代には産学協同という用語自体がタブーだった。時節は移り、趨勢は産学連携から産学融合へと発展しつつある。世界のフロントランナーとなったわが国が、新たな知を大学に求めるのは当然だが、人物養成を旨とする大学人としては、産学連携や産学融合は優れた青年起業家を輩出する環境整備にも目を向けてほしい。

2.産学連携への動き
 現在の産学連携態勢に至るまでに同志社大学が辿ってきた遥かな道のりを簡単に紹介しておこう。本学は毎年5000人以上の卒業生を世に送りだしてきた。多くは東京や関西の企業に就職する。何年か後、京都、大阪で開業する者、事業を継承する者も少なくない。このような卒業生との付き合いが産業界と本学との唯一の接点だった。なるほど産学連携があったとしても、それは教授の個人的人脈が中心だった。本学の産学連携への組織的な取り組みは1959年の理工学研究所での受託研究制度を嚆矢とする。窓口が整備されたといっても、個々の教員・研究者への卒業生からの申し入れが大多数だった。
 本格的な態勢整備は1994年に工学部と理工学研究所が「けいはんな」丘陵に移転したことを契機とする。学研都市という地の利を生かし、他大学、研究機関、企業との交流がやがて活発になった。学内での研究発表会を外部に公開し、また外部講師を学内に招くことが年々増加した。最近では、活動は東大阪市や、「けいはんな」地域にある企業との産学交流会を定期的に実施するほどに成長した。
もっとも理工学研究所という名称では実態が不明瞭で、外部へ向けられた窓口としての機能がみえにくいという指摘をうけてきた。そこで昨年からは理工系ばかりでなく、あらゆる学部・研究科・センターの研究リソースを外部に紹介する全学的な組織として、リエゾンオフィスを立ち上げた。とりわけ本学の特色は近畿経済産業局をはじめ政府・地方公共団体など行政機関とさまざまな接触を図り、総合的かつ積極的な産官学連携・地域貢献を展開することである。
 最近の具体的な動きの一例は知的クラスター創成事業「ヒューマン・エルキューブ」のリビングテクノロジー分野への参画だ。そこでは新技術を用いた高付加価値製品の創出を目指して、企業との共同研究が進行している。近畿圏は古くから家電製品開発のメッカであり、日本人の新製品指向を今一度刺激し、新しい発想を積極的に取り入れた家庭生活環境の改善を目指している。開発成果による市場規模の拡大を目指しており、近い将来、本格的な経済効果が顕れるものと期待は大きい。
 技術経営(MOT)も産業界が関心をもつ課題である。本学ではマネージメントスクール(2004年度にはビジネススクールとして展開)の教授陣がこの分野では最先端の研究業績を挙げている。研究成果の社会還元を目指して本学は、経済産業省から委託を受け、三菱総合研究所や多くの企業とともに技術経営プログラムの作成に取り組んでいる。技術経営プログラムの作成は理工系のみならず経済、経営系の研究者の協力が不可欠であり、文系理系を揃えた総合大学ならでは事業に育ちつつある。
リエゾンオフィス発足以前は理工系中心の産学連携・地域貢献だったのは紛れもない事実だ。発足後は文系を巻き込んだ協力依頼が増えつつある。今後の方向として、全学共同型交流会を基点とした産官学連携の活性化が望まれる。そこではサロン形式の会合を定期的に開催し、産業界の関心が強い話題を取り上げた基調講演を行なう。さらには理工系領域に加えて他領域の研究者との交流を深め、新たな協力案件がまとまれば申し分ない。とくに交流会は学生にも開放し、情熱溢れる学生参加を売り物としたい。本学には労使関係、法律関係、経理関係に強い人材も揃っており、大学の保有する豊かな知的環境の活用は無限の可能性を秘めている。

3.基盤整備と学生起業家の養成
 最近、とみに知的財産権が話題にのぼることが多い。本学に点在する知的財産の交通整理を目的として、今春には知的財産センターを設立した。教員の発明を大学管理の下におき、卒業生のみならず、社会一般に公開し、新たなビジネスチャンスを提供することが主たる目的だ。新たな財政収入も見込める。
リエゾンオフィスや知的財産センターの整備が進めば、次には教員による起業を促す政策となる。そのためには兼業規定が不可欠だ。現在、規定の検討中であり、ここ年内には大学発ベンチャーの加速態勢が完了するだろう。なるほどソフト面の改善のみならず、例えば教員が起業する際のオフィスの提供などハード面のサポートも必要だ。学内からはインキュベーション・ラボの開設を要求する声が日増しに高まっており、今出川キャンパス、京田辺キャンパスともに開設を準備中だ。学生にも期間を限って開放したい。
 キャンパスに立つ良心碑には「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」という校祖新島襄の言葉が刻まれている。同志社は「日本の元気」となるべき人間を育てるために新島襄が設立した学校だ。ところで明治維新を断行し、近代国家の礎を固めた人物は驚くほど若かった。明治維新時、西郷隆盛41歳、大久保利通38歳、木戸孝允35歳だった。閉塞感の強い現代こそ、大志を抱き、時代を切り開く若者の育成が大学人の責務だ。
本学に在籍している学生が起業家精神・挑戦者精神を学び、起業に必要となる創造力、行動力、精神力をつけさせる教育体制の整備が急務だ。いまや教育の産学連携を真剣に考える時期になっている。産業界と大学が連携しつつ、次代の経済を担う若者を育成することこそ経済再生の切り札だ。そのためには両者が教育プログラムを徹底的に練り上げるべきだろう。そこでは学生が産学間を自由に往来し、必要な知識と知恵を身につける。教育の基本は人間教育にあり、多様な価値観を持つ学生がいるかぎり、多様な教育形態があってもよいはずだ。

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関西学院大学における起業家育成のための研究と教育
関西学院大学 平松 一夫 学長

1.はじめに
 経済が停滞して久しいわが国にあって、いま起業家育成の必要性が叫ばれている。しかし、国際的に見てわが国のベンチャービジネスの起業率は低く、アメリカが1位であるのに対して日本は26位といわれている。わが国経済の活力を取り戻すためには、ベンチャービジネスの起業率を高めることが必要であることも、しばしば指摘されているところである。大学にも、ベンチャービジネスの起業を促進するための研究と教育を促進することにより一翼を担うことが、その使命として期待されているといえよう。
 ところが、本学の学生の場合、就職に関していえば上場会社・大企業への就職を希望する者が多かった。また、実際、そうした企業への就職が比較的順調に推移していたのである。皮肉にもそのことが、本学におけるベンチャービジネスへの注目度を低くさせてきたように思われる。こうした状況で起業家教育を充実させるためには、どうしても特定教員の情熱が必要とされる。幸い本学でも、少数ではあるが情熱あふれる教員により、次第に起業家・ベンチャーに関する研究と教育が成果を見せ始めている。ここでは、起業家教育に関する本学の取り組みの現状を紹介することにしたい。

2.ベンチャーに関する研究の取り組み
 本学の場合、約70年の歴史をもつ産業研究所がベンチャーに関する組織的研究で中心的役割を果たしている。そこではベンチャービジネス研究プロジェクトを常設プログラムとして精力的に研究を実施している。例えば、1999?2001年度のプロジェクト「ベンチャー・イノベーション研究」(代表・土井教之経済学部教授)は、その成果が『ベンチャービジネスと起業家教育』という書物として出版され、商工中金より2002年度中小企業研究奨励賞本賞を受賞している。産業研究所では引き続き2005年まで「ベンチャー・イノベーション研究」プロジェクトを継続させることとしている。また、これとは別に2002年度から3年間の予定で「東アジアのビジネス・ダイナミックス」をテーマとする研究プロジェクト(代表・伊藤正一経済学部教授)を実施している。
 他方、総合教育研究室は2002年度のプロジェクトとして、教育面に焦点を当てた「ベンチャービジネス教育に関する研究」(代表・福井幸男商学部教授)を実施した。加えて2003年には、ベンチャーのみを直接の研究対象とするものではないが、学長指定の共同研究として中小企業が海外で起業する場合に必要な事項などについて国際社会貢献センターと共同で研究する(代表・木本圭一商学部助教授)とともに、その研究成果をアジアに進出したりアジアで起業しようとする中小企業に提供し、かつ全学の学生を対象とする講義に発展させようとしている。

3.ベンチャーに関する教育の取り組み
 こうした研究の成果を受ける形で、ベンチャービジネスに関する教育も多彩な展開をみせるに至っている。経済学部や商学部では学部・大学院ともにベンチャービジネス論を開講している。たとえば、経済学部の「ベンチャービジネス論」では、ベンチャー経営者・政策当局者の講義や、ビジネスプランの作成・発表などが行われている。商学部の「ベンチャービジネス論」でも学生がチームを編成し、ビジネスプランを作成する参加型講義となっている。講師陣には大阪産業創造館からの講師を中心に、ITビジネス起業の社長、ベンチャーキャピタルのキャピタリスト、証券会社のゼネラルマネージャー、弁護士、公認会計士、特許の専門家、リスクコンサルタントなどが並んでいる。受講した学生の中にはコンテストに応募し表彰される者もでるようになっており、関係者を喜ばせている。
 他方、本学唯一の理系学部である理工学部でも、独創的な技術を核に事業化する研究開発型ベンチャー企業を創造するための仕組みに関する講義が提供されている。そこでは、シリコンバレーにおける最新プロセスと日本の現状を概観するとともに、知的所有権、技術移転といったテーマも含まれている。講師陣もオムニバス方式で、さまざまな観点からの講義が受けられるようになっている。
 また、学部の垣根をこえて開講される「総合コース」でもベンチャービジネスが取り上げられており、「日本経済の活性化とベンチャー企業」、「ITの衝撃とベンチャー起業」といったテーマで講義が提供されている。この場合も、講師には本学教員だけでなく学外の専門家を招くなどして、学生の関心を高めるための努力がなされている。
 大学院レベルでは、経済学研究科と商学研究科でそれぞれ開講されているベンチャービジネスの講義を相互に学生が受講することができる。主に社会人を対象とする夜間のマネジメント・コース受講生の中から、これまで実際にベンチャービジネスを起業する者も現れている。社会人大学院生の場合は卒業後も勉強しようという意欲が旺盛であり、商学部の藤沢武史教授を中心として立ち上げられたベンチャービジネス研究会は、積極的に研究を続けている。

4.フォーラムの立ち上げ
 こうした教育の試みは本年度、さらなる展開をみせるに至った。土井教之産業研究所長を中心に「関西学院大学ベンチャー・イノベーションフォーラム」が立ち上げられたのである。日本経済の再活性化という課題に応えるものとしてベンチャー企業の活力があることはわかっているが、日本の研究・教育の現状は不十分である。その背景としての教育と文化がベンチャー精神を育てるには十分でないという認識から、このフォーラムが創立されたのである。昨年6月には、本学出身でもある(株)サイバード社長の堀主知ロバート氏を基調講演の講師に迎え「社会を変える夢と熱意」と題する講演を行うとともに、「ベンチャービジネスと起業家教育」というテーマでパネルディスカッションが行われた。パネリストとしては本学教員だけでなく、経済学部と商学部の学生5名が参加し、ベンチャー企業の育成に必要な教育と文化について活発な討論を繰り広げたのである。

5.今後の展望
 フォーラムはさらなる展開を計画している。代表の土井所長は、フォーラムの今後の方向性として次の点を指摘している。?経済の活性化のためにはハイテクベンチャーとローテク・ミドルテクベンチャーの最適な組み合わせが必要であるから、フォーラムはハイテクに限定しない。?さまざまな角度から関わることが必要だから、フォーラムは本学の関係者に限らない。?さまざまな分野の専門家をネットワークする必要があるため「ナリッジセンター」を目指す。?新規起業のみならず、既存企業の革新も対象とする。?近隣の行政機関、経済団体などと密接な関係を形成する。
 こうした動きに加えて、ビジネススクール構想について言及し、本稿の筆をおくことにしよう。関西学院大学では、2005年に設置される専門職大学院としてのビジネススクールにベンチャーの専門家(実務家)を専任教員として迎える予定である。また、その中ではベンチャーに加えてMOTについてもコースを設けることとしている。本学において本格的に起業家教育、ベンチャー教育を展開する時期がいま正に到来しているのである。

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今こそ社会科学系大学の出番
阪南大学 大槻 眞一 学長

 オーストラリアのシドニー中心部から北へ5kmの所にATP(Australian Technology Park)というインキュベータとレンタルスペースの複合体がある。このATPで注目されるのは、インキューベータ入居者85?90%が起業に成功していることである。時代のトップランナーを行くこのインキュベータの特徴は、出資者でもあるシドニー大学、シドニー工科大学、ニューサウスウエルズ大学からの支援が技術開発にとどまらず、起業支援や経営のノウハウの伝授にまで及ぶことである。
 このところ、新産業創出に全力投球の我が国で、商品開発に成功しても、販路でつまづき、日の目を見ない事業が多いという。中小企業白書はこれを「死の谷」と呼んでいる。いまや日本の起業家にとって、この「死の谷」をいかに越えるかが大きな課題となっている。起業成功率の高さを誇るオーストラリアと日本の違いはどこにあるのか考えてみたい
。 日本の創業支援の道具立ては、米国のシリコンバレーが手本となっている。TLO、インキュベータ、レンタルファクトリー、ベンチャーキャピタル、ストックオプション、エンジェル税制、大学教員の会社役員の兼務、日本版バイドール法、産学連携など、シリコンバレーモデルは一通り導入された。しかし、日本の開業率は米国に比べればはるかに低い。なぜであろうか。それは外国からハード(仕組み)は輸入できても、長年の試行錯誤によって蓄積されるソフト(スキル)の発達には時間がかかるからである。
 例えば、米国のベンチャーキャピタルは、ビジネスプランや起業家の資質を自ら判断することができる。投資する起業を選ぶ目利きをもっている。我が国の担保・保証人を伝統的に重視してきた金融機関係のベンチャーキャピタルとは大差があると思われる。
 さらに、米国のベンチャーキャピタルは起業家のビジネスプランの成長性を確認するため、シンクタンクに調査を依頼する。このシンクタンクも目利きができなくては話にならない。こうしてベンチャーキャピタルは、ビジネスプランの現実性を徹底的に調べた上で投資を決める。投資後は上場を目指して企業を具体的に指導していく。例えば、出資した企業の成長に必要とあらば、営業のプロ、大学の専門家、会計士、弁護士、マーケティングの専門家などを斡旋する。時には社長の差し替えもする。かくて「死の谷」は小さくなる。
 こうしてみると、これまで我が国は新産業の創出策は米国からシリコーンバレーモデルをワンセット導入してきたが、起業家のビジネスプランに対する目利きやベンチャースピリットの発達が伴っていない。こうしたソフト面の蓄積を図る事が不可欠である。しかし、それには時間の制約がある。
 では、オーストラリアの場合はどうか。
 オーストラリアのATPの起業化率の高さの秘密は、技術支援の前に徹底したビジネスプラン作成の支援にある。25室あるインキュベータに起業家が入居を希望すると、プレインキュベータ期間が3カ月置かれ、この間にシドニー大学、シドニー工科大学、ニューサウスウエルズ大学などが連携して、起業家のビジネスプランの完成度を高めていく。これらの3大学は起業家の起業支援のための連携だけでなく、合同して3大学の4年生を対象にニュービジネス講座をATPで開いている。?3大学の起業家育成の積極さは、学生に対しても、社会人に対しても変わらない。
 さて、プレインキュベータ期間が終了すると、インキュベータ入居のための選考が行われる。これに合格すると最大2年間の入居が認められ、3大学からの技術支援をはじめ、資金手当などの財務面の指導、取引に役立つビジネスグループの紹介、起業への精神的な"激励"などの多くの支援が行われる。こうしていよいよインキュベータで起業の準備が整うと、起業家はオフィスなどをATP内に借りることもできるし(入居期間、36カ月?45カ月)、もちろんATPの外で開業することもできる。現在、ATP内では62社が開業している。
 また、ATPは国際的な提携・交流も行っており、日本(京都リサーチパーク)、米国、英国、イスラエル等のリサーチパークとも連携している。
 こうしてみると、我が国は新産業の創出は米国からシリコンバレーモデルをワンセット輸入してハード面を整えてきたが、それらが威力を発揮するには、事業計画に対する目利きやベンチャースピリットの醸成などなど、起業支援のスキルの向上が必要である。それには時間がかかり過ぎる。
 とすれば、我が国ではさしあたって、オーストラリアモデルを参考にしては如何であろうか。つまり、起業の最大のネックとなっている「死の谷」を越えるため、ATPのように、プレインキュベート期間(起業の初期段階)を置き、専門家の協力によってビジネスプランを徹底的に仕上げることである。それはまた社会科学系大学の出番を告げるものでもある。起業支援は、これまで多大な努力を傾注して来た大学のシーズと企業のニーズの出会いや、産業連携による技術開発などの工学系大学を中心とした起業支援に加えて、商品開発を始める前に、マーケティングや市場における成長戦略などを産学連携して研究することである。そしていよいよ事業化にむけて研究がスタートを切れば、金融機関の紹介や販路開拓の支援など、インキュベート機能を集中して起業を促進する。いま、まさに社会科学系大学との産学連携こそが求められているのである。
 このような起業支援の役割が重視されてくると、社会科学系の大学も普段から学生や社会人に対してベンチャー講座やビジネススクールを開きながら、起業支援のスキルを積極的に蓄積していくことが必要となる。それはまた同時に、我が国の若手を中心としたベンチャースピリットの向上にも役立つことであろう。

〔注〕
ATPで行われている3大学のニュービジネス合同講座は、イノベーションに関する幅広い理解とミクロ経済学が習得できるように、次のようなカリキュラムで行われている。
1.イノベーション
2.マーケティング?イノベーション
3.知的財産?特許/デザイン
4.契約
5.工業デザイン
6.エンジニアリング・デザイン
7.マーケティング?デザインと管理
8.商品開発
9.経営管理
10.ビジネスプラン
11.ベンチャーキャピタル
12.法律管理
13.試験

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「起業家を育てる」
立命館大学 政策科学部 角田隆太郎 教授

 起業家を輩出し、ベンチャー企業をたくさん生み出すために、さまざまな場所で起業家教育が行われるようになった。私が籍を置く立命館大学政策科学部でも、今年4月から、政策科学部大学院のなかに事業創造コースを置き、京都リサーチパークのなかで、そのインキュベーション機能を活用しながら、起業家の育成を行う予定である。
 3年ほど以前のことであるが、あるベンチャー企業の新規事業で、百貨店のなかで、小学生を対象に、(起業家を含めた)創造性開発の教育を行うプロジェクトの企画と立ち上げの支援を、学生といっしょに行ったことがある。そのときの経験から思うのだが、「教育によって起業家を育成する」というよりも、「あるきっかけによって起業家を志した人」に起業家として必要な教育を行う、のが正しい起業家教育ではないかと考えている。つまり起業家を志す「きっかけ」を与えられるような場をつくるということがより重要なのではないかと考えている。
 一例を挙げると、阪急グループの創業者の小林一三は、大学を卒業後、三井銀行に入行し大阪で勤務していたが、文学や遊興にふけるどちらかといえば不良社員で、当初から起業家を志したわけではなかった。小林が起業家を志したのは、三井銀行の上司の岩下清周の言葉がきっかけであった。
 小林は銀行退職後の職場として鉄道会社の監査役の職を紹介された。この会社が国有化されることになったために、別の会社を新たに設立することになり、経緯上、小林はその追加発起人として名前を連ねることになった。しかし株式払い込みの段階になって、景気の後退から払い込みをしない人が数多く出て、大量の失権株が発生した。このために新会社の設立そのものが危ぶまれ、小林は役員になれるか浪人かの瀬戸際に立たされた。
小林は銀行退職後の職場として鉄道会社の監査役の職を紹介された。この会社が国有化されることになったために、別の会社を新たに設立することになり、経緯上、小林はその追加発起人として名前を連ねることになった。しかし株式払い込みの段階になって、景気の後退から払い込みをしない人が数多く出て、大量の失権株が発生した。このために新会社の設立そのものが危ぶまれ、小林は役員になれるか浪人かの瀬戸際に立たされた。
 小林は三井銀行の先輩で大阪財界の大物であった岩下清周を訪ね、資金拠出を仰いだのだが、岩下は珍しく厳しい表情で、
「話はわかった。援助しよう。しかし君はいくら用意できる」
といった。さらに岩下は、
「やる以上は、自分の一生の仕事として覚悟を決める、それが先決だ。他人に資金援助を頼む以上、自分も応分の負担や覚悟がなければ人は動かせるものではない」
と訓え、念押しをした。岩下のこの言葉によって、名ばかりの発起人のつもりであった小林は、目からウロコが落ち、「起業家」としての自覚に目覚めるのである。
 現代の日本の社会で、起業家が輩出しにくいのは、このような起業家を志すきっかけを与える場が少ないからではないかと私は考えている。きっかけさえ与えることができれば、日本にも数多くの起業家が輩出してくるのではないかと考えられる。ではどのようにしてこのようなきっかけを与える場をつくるかであるが、昨年9月に中国を訪問したときに、そのヒントとなりそうな場所を視察してきた。それは深センにあるテクノセンター(日技城)という施設である。
 テクノセンターは、横浜の宮川製作所の石井次郎氏が起こした事業で、それ自身がベンチャー企業といってもよいが、中国華南で伝統的に行われてきた「委託生産方式」と呼ばれる仕組みを活用し、中小企業が中国で事業を起こすためのインフラ施設である。
 委託生産方式とは、「鎮」と呼ばれる中国の村に対して、工場用地を提供してもらい、建屋を建設してもらい、電気や工場用水を提供してもらい、機械や生産設備は持ち込み、必要な従業員は雇用してもらい、その教育訓練は自ら行い、製品を生産し、提供を受けた土地、建物、光熱費、従業員の給与などを、委託生産費として支払う契約形態のことである。テクノセンターは、深セン市にこのような施設を3ヶ所持ち、日本から進出してくる中小企業を受け入れ、その事業立ち上げを支援する。進出する中小企業は、予算に応じて、テクノセンター内のスペースを借り、必要な従業員を雇用し、その教育を行いながら生産活動を開始する。そして自ら工場を運営する能力ができれば、テクノセンターを出て、育てた従業員を連れて自社で建設運営する工場に移転する。
 中小企業がテクノセンターを利用する意義は、中国進出に際して必要な経費が明解にわかり、予算に応じて活動の規模を計画できること。さらにテクノセンターから経験に基づく的確なアドバイスが得られ、またテクノセンターの工場そのものが大規模で豊富な経験があるために、サービスのコストも低廉であるからである。さまざまな業種と規模の会社がテクノセンターに入居しているが、平均年齢19歳の中国人女性によって、小集団活動などを活用した日本型の方式でモノづくりが行われている。
 このテクノセンターでは、大学生をインターンとして受け入れている。一橋大学や慶應大学などの優秀な学生がたくさんインターンに来て、従業員の女性たちと同じように寝起きし、食事をし、夜を徹して語り合うのだが、これによって多くの学生の意識が劇的に変化するという。中国人女性の多くが、中国の将来の発展と自分たちの夢を重ね合わせて語るのに触発されて、日本あるいは自分たちを客観的に分析し、問題点を直視することができるようになるのである。学生だけでなく、北陸電力は、将来の幹部となる社員を4名、現場研修に送りこんでいる。われわれは数時間の滞在であったが、帯同した学生のなかから2名が、その場でインターンを希望し、受け入れていただけることになった。
 インターンを終えた学生のお礼の手紙も見せていただいたが、ある慶應大学商学部の学生は、祖父の代からの銀行員の一家で、本人も都市銀行から内定を得ていたにもかかわらず、テクノセンターでのインターンを終えた後、モノづくりがやりたくなって、銀行の内定を辞退し、製造業の中小企業への就職の道を選んだという。  テクノセンターは、そこを訪問したり、インターンを経験した学生に、意識を変革するきっかけを与えている。それは起業家へのきっかけというわけではないけれども、現場を生で見る、自己を客観的に、グローバルなポジションでながめる、ということが意識変革のきっかけとなることを示唆している。
 以前から、私は、大学のゼミで、プロジェクト方式と呼ぶ方法で、3回生の専門演習を進めている。学生を5人前後のグループに分けて、各グループごとにテーマと相手企業を決めて、学生と企業がいっしょにプロジェクトを進めるというやり方である。このやり方で、現場で自分で問題を見つけて考え、チームで仕事を進める対人力をみがくことができると考えている。このことが、社会におけるさまざまな問題を見つけ、仲間とチームを組んで、それを解決するための事業を創造していくベンチャー起業家や市民起業家、社会起業家を育てるための教育システムとして最適だと考えている。

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起業家育成と大学教育
大阪商業大学副学長、エクステンションセンター長 片山隆男氏

 国際化と情報化が急速にすすむなかで、日本は韓国や中国といった成長著しい国々の追い上げをうけながら深刻なデフレ状態にある。価格破壊が進行しているが、低価格(価格破壊)自体が流行となって社会現象化している感さえある。これは消費のバンドワゴン効果といえようが、低価格が流行しているなかで、商品の差異化が進行している。消費のスノッブ効果である。消費の世界ではバンドワゴン効果とそれに触発されたスノッブ効果のサイクルが生じることが知られているが、商品のなかにはその流れのなかで急速に陳腐化するものもでてくる。日本のような成熟した消費社会ではそのサイクルが急速に短くなってきているからである。市場レベルで考えれば、企業はその存続発展のために常に「いま」に疑問をもちときには否定する勇気をもたなければならない。さもなければ市場からの撤退を余儀なくされる。起業家精神は新規事業を立ち上げるのに必要であろうが、成熟した消費社会という現在の状況からみれば既存企業にとっても不可欠であることがわかる。発展を続ける中国をはじめとする東南アジアの存在を考えれば、起業家精神の発揚は、日本の経済再生にとって欠くことができない。関西では本学の立地する東大阪地域は起業の集積地であり、高密度に中小企業が集積する地域として名高い。しかし、近年、企業数は往時からみれば大幅に減少している。企業の海外進出、後継者難などがその理由として挙げられよう。また近年の不況などが影響してこの地域に新たに起業するもの、進出する企業が少なくなっている。この結果、集積地としてのメリットである、知的交流や異業種交流による相乗効果が薄れ従来の魅力を失いつつあると言っても過言ではない。戦後の経済発展を支えたさまざまな業種の集積地がその力を失いつつあることが、大学生に産業界への就職意欲を喪失させている大きな理由でもある。高等教育研究機関としての大学の役割は、次代を担う人材の育成であるが、さらに地域の活性化に貢献することである。それぞれの地域には文化、歴史に特徴があり、その地域性を活かしたまちづくりが地域再生にとって重要である。多様な産業集積の地である東大阪の活性化、ひいては関西の復権を考えるとき、起業家育成に本学が果たすべき責務は大きい。
 本学は地域貢献を目ざし平成9年に地域の活性化,まちづくりの学問的探究をコンセプトとした大学院地域政策学研究科を立ち上げた。引き続き、学部に公開講義「地域社会と中小企業」「地域産業振興論」や起業関連科目「アントレ・プレナー論」を開講、学生は社会人とともに地域の企(起)業家などの講義を受けている。平成12年には学部改組を行ったが、同時にエクステンションセンターを開設、資格取得講座を実施するとともに起業支援プロジェクトを企画し順次実行に移した。このプロジェクトは、5つの企画からなり、起業家育成セミナー、ニュービジネス・アイデアコンペの実施、学生ベンチャークラブ:ベンチャーフォーラムの結成そして産官学のネットワークである大商大ベンチャーズネットワーククラブ:V−Net、インキュベーションオフィス:大商大アントレ・ラボの設置である。本学は経済学、経営学および流通学をそれぞれ学問的基盤とする社会科学系の大学である。これまで半世紀あまりの教育研究活動を通じて多くの起業家、事業の後継者を育成してきたが、技術開発に直接関わったことはない。しかるに新規企業のインキュベーション機能まで装備した起業支援プロジェクトをなぜ実施しようとするのか。
大学の教育研究活動のあり方として「産学」の連携がある。産業界は、起業機会の事業化を試みるとともに企業内ベンチャー・第二創業の取り組みを模索している。これらの取り組みには独創的技術の研究開発や事業運営・経営に必要な学問的知識・技法(マーケテイングの技法、マネジメントに関する知識、ビジネス法務など)の取得・利用が求められる。これを起業家が単独で調達することはきわめて困難である。さらに、次代の産業界を担う起業家精神に富んだ人材や起業を支援する者の育成も急務である。これら産業界が必要とする情報の発信や人材育成は、大学にストックされている知的資産の活用によって実現可能である。とくに国際化や情報化によって変貌著しい環境下で、起業はもとより事業の継続発展、新産業の創生や産業界の再生に欠くことのできない経営感覚をもった人材の育成は、もっとも本学が貢献できる領域である。産業界はこれによって起業、既存企業の再生、経営者の再教育などをおこなうことができる。また、産業界での取り組みと成果が大学の教育研究活動を点検評価することになり、大学における研究の深化・促進につながり結果として、大学の知的資産のストックを増やし充実させる。産学連携活動は、このような産学の補完活動でもある。さらに地域の活性化というレベルで考えれば、新事業・産業の創出、継続発展に必要な社会システムづくりに取り組む必要がある。それは東大阪地域の活性化と関西の復権に欠くことのできない活動であって、産学連携活動の中心といってよい。製造業のみならずサービス業、商業あるいは農業の分野でも起業は起こりうるし、今後分野の枠を超えた新産業分野が創出される可能性さえある。V−Netによる産官学のネットワークに支援されたインキュベーション機能の発揮によってニュービジネスモデルの開発も可能となる。また産学のこのような連携は、産と学とが近接していることによって大きな効果をうむが、本学の立地はそれらの条件を満たしている。
 かくして本学の教育研究活動の目的は単に起業支援にあるのでなく、さらに地域発展に必要なシステム構築に向けて産学連携を展開することにある。起業が地域の営為となる状況をつくる人材の育成が本学の役割である。このとき、地域の営為としての起業は、単に起業家だけでなく起業に深い理解を示す、さらに支援する人々によっておこなわれる。それゆえ、起業に必要な人材の育成は、起業家とその周辺の人々をも育成することである。これらの人々のネットワークによって地域に継続的に起業がおこり、さらに事業の継続性への可能性が育まれるのである。本学の起業支援プロジェクトは、産や官との連携によってこれらの人材を発見、育成することおよび立ち上げた事業が継続し発展するための知的情報を伝える機能を果たすと考える。いわば、このプロジェクトは本学が産学の連携のもとでおこなう地域創造の壮大なプロジェクトである。
 地域創造の取り組みには、国際化・情報化がすすむ状況下では海外の大学をはじめとする研究機関との連携が重要である。また、現在はこのプログラムは主に社会人を対象としているが、学生ベンチャーフォーラムやニュービジネス・アイデアコンペを通じて学部・院の学生さらに高校生に対する起業家教育を展開する。平成14年には学部にビジネスパイオニアコースを設置して、会計学、情報処理、語学を集中して学びながら事業経営者・後継者となる人材の育成を開始した。彼らは学生ベンチャーフォーラムの中心となって活動する学生であり、今後地域・産業界で望まれる経営感覚をもったリーダーとして活躍することが期待される。
 本学は現在の状況に甘んじることなく教育研究活動の見直しと拡大を図りつつある。大学は社会で必要とされる場合にのみ存続が認められる。大学の教育研究に「起業家精神」を発揮すること、これが大学の存続と発展に必要不可欠であり、ひいては東大阪地域さらに関西の活性化につながると考える。

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フレデリック・ターマンの戦略
流通科学大学商学部 磯辺剛彦 教授

ベンチャーといえば米国のシリコンバレーが真っ先に思いつくが、この地域の経済発展の多くはスタンフォード大学のフレデリック・ターマン教授の功績である。雑誌「フォーチュン」は、ターマンについて「彼が<技術専門家のコミュニティ>と呼んだ、大学と地域産業のユニークなパートナーシップを築くことによって、協調的な文化をこの地域に植え付け、これが1970年のはじめにシリコンバレーとして出現した」と賞賛している。ターマンは「大学(スティープルズ・オブ・エクセレンス)」と「地域産業(技術専門家のコミュニティ)」という戦略によって、シリコンバレーを世界的なハイテクベンチャーの集積地へと変貌させたのである。
ターマンは1920年代にスタンフォード大学での教員生活を始めたが、当時この地域には技術革新的な企業がほとんどなく、スタンフォード自体も二流の大学だった。ターマンは、戦後のスタンフォード大学が国家的な名声を確立するには、将来性が高く得意な分野に資源を集中させるべきだと確信していた。そこで彼は「スティープルズ・オブ・エクセレンス」と呼ぶ戦略を開始した。スティープルズ・オブ・エクセレンスとは、すべての研究分野でトップの地位を築くのではなく、ごくわずかな重要な分野において限りなく高い地位を確立することだった。
「大学において科学や技術でのエクセレンスを生み出すものは何か。どんなにりっぱな建物でもエクセレンスを作ることはできないし、多くの教員がいればよいという訳でもない。また高価で最新鋭の設備を備えた研究所でないことも明らかだ。エクセレンスの重要な要素は教員の質だ。より正確に言えば、エンジニアリングと科学において、知識、専門性、創造性、研究能力、コミュニケーション能力、そして専門分野でリーダーシップをもった、ごく少数の教員によって決定される。」
このようなスティープルを構築するためには、限定された分野の有能な教員を採用する必要がある。そのような教員には、多額の報酬を支払うべきだと主張した。ターマンの手紙に中に、彼の教員採用に関する考え方がよく描かれている。
「ティモシェンコ(著名な電気工学の研究者)の給料は准教授の2倍にもなるが、スタンフォード大学にとって彼の価値はどんなに多くの平均的な准教授よりも高い。そのような比較をしようとするのは、いったい何人の6フィートを飛べるジャンパーがいれば、7フィートを跳ぶジャンパーが一人いるチームと釣り合うのか、という質問に答えようとするのと同じだ。 」
そしてスティープルを構築するためには、その分野に関連した優秀な人材を複数集めなければならないと考えていた。
「たとえば電気工学の分野では、5人の優秀な教員全員が固体素子や制御技術など、ある1つの重要な分野の専門家であれば国家的な名声を集めることができる。これは5つの分野について、それぞれ一人ずつ優秀な教員をもつこと以上に効果的である。 」
スティープルズ・オブ・エクセレンスにおいてターマンが意図したのは、スタンフォード大学と近隣地域の企業との結びつきだった。スタンフォード大学での基礎研究を実務的なハードウェアに転換するために、大学の研究員に対して企業のエンジニアと共同研究するように促した。
このような「研究開発を重視する企業によって囲まれた、エンジニアリングや科学の分野で優れたプログラムをもった大学によって構成される地域社会」をターマンは「技術専門家のコミュニティ」と呼んだ 。そしてコミュニティ内の大学と近隣産業との間で継続的な交流が行われるのである。
「大学の研究活動から生み出された独創的なアイデアは、地域の企業によって商業的な応用が行われる。たとえば、産業や企業にとって重要な意義をもつ学位論文は地域の企業に情報提供され、逆に、企業による応用研究が大学の研究活動にフィードバックされることもある。 」
現代の技術専門家のコミュニティでは、大学や産業が互いに知的な刺激を与え、結果として、成長を志向する企業や産業を引きつける。そしてコミュニティ内の技術革新や創造性は伝染性をもつようになる。つまり、コミュニティ内にユニークなアイデアを創出したり、新しいことにチャレンジするように働きかける風土や文化を植えつけることができる。
ターマンは、地元のエレクトロニクス企業に対して、大学と産業の両方の目的を達成するためにお互いに協調してゆくことを奨励した。さらにターマンは、早くからエレクトロニクス、原子力、ミサイル、ロボット、コンピュータ、医薬など、新しいタイプの産業は、より頭脳の中心に近いところに立地することが重要だと確信していた。彼は、技術や科学に基づいた研究活動を中心とした新しいタイプの産業を「成長産業」と呼んだ。
ターマンが描いた技術専門家のコミュニティは、地域の成長産業に知的な刺激を提供できる。そしてコミュニティの中でも大学が頭脳の中心になる。高度に訓練され、豊富な知識をもつ教員たちは、国全体から優秀な学生を引きつける。その結果、地域産業はこのような若い人材を雇用できるようになる。つまり、優秀な学生こそが成長産業のもっとも重要な原材料となる。
「産業界の人たちは、高度な科学的、技術的な創造性をともなった活動を行うためには、市場や原材料、輸送、工場労働者の近くよりも、頭脳の中心に立地する方が肝要なことに気づき始めた。今や大学は、単なる学習の場所というだけの存在以上のものになっている。大学は、国家の産業に大きな経済的影響を与えるだけでなく、産業の立地、人口増加、コミュニティの特性にまで影響している。要するに大学は、原材料や輸送、気候などの天然資源と同じようなものだ。」
ターマンは、スタンフォード大学の若い教員に対して、大学から外に出て近隣地域で独創的な活動を行っている企業家と知り合いになるように奨励した。同様に、地域業界に対しても技術的に関連する分野でスタンフォード大学が何を研究しているのかを理解したり、自分たちと同じような研究をしている教員との交流を促した。
「現代の技術専門家のコミュニティにいる大学の教員たちは、もはや象牙の塔に安住してなどいられない。彼らは象牙の塔の階段を下り、刺激的で創造的な産業の人たちと無数の結びつきをもつべきだ。」
「シリコンバレーの父」フレデリック・ターマン教授の描いたビジョンは、大学と産業との協調関係によって、西部に技術専門家のコミュニティを構築することだった。このコミュニティがシリコンバレーの基盤となった。教員生活を通じて、自らの明確で壮大なビジョンを実現するために献身した。ターマンの退官式において、パッカードは次のように彼を称えた。
「大学の近くでの産業の発展は、スタンフォード大学に限ったことではない。ボストンのMITでも同じだ。しかしエール大学やプリンストン大学のように、りっぱな大学の近くで産業が発展するとは限らない。ハーバード大学もボストンの産業にはそれほど貢献していない。『どのようにすれば、スタンフォード大学のように産業と大学の協調関係を築くことができるのか』と質問されることがある。私の答えは実に簡単だ。『フレッド・ターマンを探しなさい。』」


G. Bylinsky, "California's Great Breeding Ground for Industry," Fortune, June 1977.
Terman, "Strategy for Excellence: Appendix A," presented at the Colorado Commission on Higher Education, January 1967 (Stanford Archive [SA] Special Collection [SC] Series VIII Box 4 Folder 6)
Terman to P. Davis, December 29, 1943 (SA SC 160 Series I Box 1 Folder 2)
Terman, "Strategy for Excellence: Appendix A."
Terman, "The Newly Emerging Community of Technical Scholars."
Ibid.
Terman, "Strategy for Excellence: Appendix A."
Terman, "The Newly Emerging Community of Technical Scholars."
"Frederick Emmons Terman", Stanford Engineering News.

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文系大学発ベンチャーの可能性
OSU Digital Media Factoryの設立と活動の経験を踏まえて
大阪産業大学経済学部教授 高増 明

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大学発ベンチャーが注目されているが、そのほとんどは、バイオやITといった理系の教員の研究を実用化するタイプの企業であり、経済学部や経営学部、文学部などの文系学部からの大学発ベンチャーは、ほとんど誕生していない。私が学生と共同で設立したOSU Digital Media Factory は、現時点では数少ない文系大学発ベンチャーである。ここでは、なぜ企業を設立することになったのか、どのように企業が活動しているのかを簡単に説明してみたい。

 OSU Digital Media Factory(OSU DMF)は、学校法人大阪産業大学、大阪産業大学経済学部教授の私(高増明)、大阪産業大学の大学院生4名の共同出資によって、山崎功詔(大阪産業大学大学院生)を代表取締役として、2001年7月27日に有限会社として設立された。資本金は、300万円で、大阪産業大学、高増、大学院生がそれぞれ100万円ずつ出資している。取締役5名の構成は、山崎、高増と大学院生3名である。したがって、いわゆる大学発ベンチャー、学生ベンチャーで、かつ文系の大学ベンチャー、さらに事業内容はレコード会社!という日本でもはじめてのタイプの企業である。
 OSU DMFは、大阪産業大学経済学部の私のゼミを母体としている。ゼミでは、情報のデジタル化、コンピュータやネットワークの進歩が経済にどのような影響を与えるのかをテーマとして勉強を続けてきた。そのなかで、情報のデジタル化、マルチメディアを理解するためには、デジタル・コンテンツを制作することが不可欠であると考えて、試行錯誤を繰り返しながら、様々なコンテンツの制作に取り組んできた。
 デジタル・コンテンツの制作は、学生が作詞・作曲・演奏した曲をスタジオでレコーディングして音楽CDを制作することからはじめた。また、それと並行してホームページを作ったり、卒業論文をCD-ROM化したり、ビデオで撮影した映像をコンピュータで編集して、プロモーション・ビデオを制作したりした。このようなスタイルのゼミには、学生も積極的に取り組んでくれ、デジタル・コンテンツの制作は、デジタル・エコノミーの勉強にも大いに役立った。
 学生が本気で取り組んだこともあって、活動は次第に本格的なものになって、制作されたコンテンツも市販のものと遜色のないものになってきた。また、商業性にとらわれずに、自分たちがいいと思うものを制作した結果、ある面では、市販のものよりも現代的な感覚に優れ、学生や若い世代によりアピールするコンテンツが生まれてきた。
 そして、ついに、学生が自分たちの力でベンチャーを設立して、自分たちの制作した音楽CD、CD-ROM、ホームページなどのデジタル・コンテンツを販売していこうということになった。設立にあたっては、ベンチャーを積極的に支援するためにインキュベーション委員会を設置している学校法人大阪産業大学が、資金や設備、人的な面でも、サポートしてくれることになった。
現時点での活動は、大きくわけて二つの分野に分かれている。それは、音楽部門とデジタル部門である。音楽部門は、音楽CDの制作・販売、ミュージシャンの発掘・プロモーションを事業とする部門である。大阪産業大学経済学部には、レコーディング・スタジオが設置されている。そのスタジオを利用して、学生がレコーディングを行うことによって、CDを低コストで生産することができる。メジャーのレコード会社の場合、音楽CDを制作する費用の総額は、20,000枚を生産するのに約2,000万円から4,000万円程度である。一方、OSU DMFでは、2,000枚を約40万円程度で制作することが可能である。したがって、採算ラインはメジャーが15,000枚から20,000枚なのに対して、OSU DMFは、600から800枚程度である。このメリットを利用して、多くのミュージシャンをCDデビューさせ、その可能性を開花させ育成していこうというのが、OSU DMFのビジネスモデルである。サンプルCDに続いて、すでに4タイトル(写真)をリリースし、流通会社を通して、大手レコード店で販売している。また1月には、プロモーションも兼ねて、梅田で初のライブイベントを開催した。

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 デジタル部門では、Web Site、教育用マルチメディア・コンテンツ、各種パンフレット、ビデオの制作などを行っている。Web Siteは、すでに大阪産業大学のホームページのかなりの部分を制作している。また地元の中小企業のwebも制作した。教育用マルチメディア・コンテンツとしては、大阪産業大学の依頼を受けて、中国人留学生のための日本語講座を制作した。これは、中国人留学生が日本の大学に留学して直面する場面(たとえば大学の授業、コンビニでの買物など)を1〜2分のビデオにまとめ、それに日本語と中国語の字幕をつけたものをインターネットでストリーミング配信するもので、OSU DMFが制作し、マルチメディア関連企業から他大学などへの販売している。そのほかに、大学の入試広報用のパンフレット、広報用のビデオなども制作している。
活動は、ほぼ事前に予想したとおり、順調に行われている。大学の施設を利用して、学生が主体となって経営を行うことによって、コストを下げるという経営の戦略は基本的には成功している。またデジタル部門は、大学を主要な販売先とすることによって、予想外の需要と利益を得ることができた。これまで、大学の文系ベンチャーは、まったくといっていいほど、その可能性が検討されてこなかったが、文系ベンチャーにも十分な可能性があることを明らかにしたことがOSU DMFのひとつの貢献であろう。
最後になるが、大学発ベンチャーの活動は、企業活動であるとともに、学生教育の一環でもある。したがって、経済学的に言えば、企業は、製品を生産するとともに、学生教育サービスも結合生産していることになる。OSU DMFの活動を通して、学生は、人間的にも急速に成長した。企業が大きな利益をあげることができなくても、少なくとも大きな教育効果をあげたという意味では、社会的には有益な生産活動をしたことになると言えるかもしれない。

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産学連携とベンチャー・ビジネス
龍谷大学RECセンター長・経営学部教授 佐藤 研司 氏

 構造改革論議の一環として、国公立大学の独立法人化構想が盛んに議論され、その議論に引きずられるように「産学連携」「大学発ベンチャー」といった言葉がマスコミを賑わしている。大学は研究・開発に携わる研究者の集積する場所であり、事実そこには多くの成果が結実してきた。これまでわが国においては、理工学系を中心に大学における学術的研究と企業における事業化研究という棲み分けを明確にし、それぞれの役割分担のなかで相互に補完しあう関係を形作ってきた。研究者は事業化の可能性や採算性に縛られることなく自由な発想から研究を進めることができ、企業は研究成果を応用し、また、組合せることによって競争力のある製品の開発に全力を注いできた。こうした大学と企業の補完的関係を、より積極的に発展させようというのが近年において叫ばれている「産学連携」といえる。日本経済の構造的問題が表面化し、旧来的な枠組みでの解決が困難になる中、新しい産業のフレームワークが求められていることは紛れもない事実である。たとえば、銀行の再編劇や海外資本による経営の建て直しなど、これまでの枠組みでは解決できない事例は数多く見られる。その意味で、学術研究の拠点であった大学に、実務的事業化の視点を持ち込むことは、新たな産業構造の可能性を模索する上で有効な方策であるといえよう。しかし、大学の研究室が直ちに事業化の拠点となるとか、研究室に事業化のアイディアが無限に転がっていることを意味するものではない。当然のことながら、大学で開発された研究成果がそのまま事業として利用できるわけではない。事業として成功させるには技術的独創性だけでなく市場のニーズを満たす何らかの仕組みが必要となっている。市場のニーズを満たすための仕組み作りをマーケティングと呼び、事業を戦略的に組み立て運営する力をマネジメントと呼んでいる。技術とマーケティング、あるいは、マネジメントが上手くかみ合って初めて商品となり事業となりうる。企業が事業の対象として関心を示すのは、シーズに事業としての可能性を感じ取ったときである。最終的に商品としての差別性を出せるのか、特許などによって牽制力がはたらいているのか、新しい需要を呼び起こすことができるのか、容易に生産ができるのか等々、企業が事業化を決断するにはおおくの経済的要因をクリアしなければならない。このように、事業を成功させるには独創的な技術開発力を持つと同時に、市場を洞察し戦略を構築できる力がなければならない。理想的には、技術とマネジメントの両方に精通した人材ということになるが、簡単にそうした人材の育成というわけにはいかない。そこで重要になってくるのが、それぞれの不足する部分を補い合い、事業として成功に導くための仕組み作りである。「学」における研究開発、「産」による事業化の検討といった単純な役割分担ではなく、「学」においても技術にかかわる研究だけでなく、マネジメントや法務、あるいは、マーケティング手法の研究・開発が進められ、「産」においても事業化のための拠点作り、資金調達、販路作り、さらには、事業の展開力など多面的な取組みが進められている。こうした産学を中心とした多面的な事業連携はベンチャーや中小企業に特化したものではなく、大企業も巻き込んだ大きな流れとなっている。さて、ここで昨今話題となっている「産学連携」による起業化について触れてみたい。産学連携の考え方は大きく2つの方向があるように思える。一つは、「学」の持つ技術資産を「産」によって事業化するという方向である。ナノテクやバイオ等の先端的な技術開発分野に多く見られるが、開発された技術に係る権利の整理等、いくつかの解決すべき課題を残しつつも、直ぐにも事業化に結びつくようなシーズもたくさん存在していることも事実であるが、その実現には多大な資金を必要とするケースが多く、投資力を持つ大企業を中心に進められることが多い。もう一つの産学連携の方向は「産」の抱える事業化に向けての課題を「学」が解決するというやり方があるように思える。立ち上げたばかりのベンチャーや中小規模の企業にとって、事業として必要なすべての条件を同時並行的に調達することは困難である。独創的な商品は完成したが販路がないとか、コアになる技術はあるものの周辺技術の開発が間に合わないというように、一企業だけで事業化に必要な諸条件を揃えることが難しい。こうした状況を解決するために、大学の保有するノウハウや技術といった資産の活用を進めることで事業を実現していくという産学連携の方向が考えられる。さらに、大学が事業実現のために直接的に関与するだけでなく、企業同士が相互に事業を補完しあうような「産産連携」を促進させる仕組み作りにも、ニュートラルな機関として大学がコーディネータ機能を果たしうるのではないだろうか。

 翻って、本学の産学連携拠点としての機能を果たしているRECをみると、まず、RECにおける産学連携の基本的な形が、「研究者の持つシーズを事業化に向けて開放する」だけではなく、「企業のニーズを大学のノウハウ・技術で埋める」という点に重点を置いていることにある。産学連携事業の拠点としてのRECを企画し、実施体制を整え10年が経過している。時代的な要請を受け、地域産業の活性化に寄与し、産業振興を側面から支援する組織としてRECはスタートした。「ここを技術的にクリアできれば」「この問題が解決できれば」という企業側のニーズに応えられるノウハウや技術を探し出し、あるいは、作り出していくことで事業化を後押ししていくことで着実に結果を残してきた。瀬田キャンパスのREC滋賀に、インキュベーション施設としてレンタルラボを開設し、物理的な研究開発のためのスペースを提供すると同時に、理工学部教員の支援を求められる環境を提供している。さらに、昨年から深草キャンパスに展開する社文系学部の教員サポートを実現すべく、REC京都を開設し事業の運営に係るマネジメントやビジネス法務に関する支援体制の整備を進めている。RECにおける産学連携事業は、必然的に企業と距離の近いところで、技術開発と事業化とが密接に結びついた形で進められているのが最大の特徴であり、強みである。研究者にとって自分の関与した技術やノウハウがどのように応用され、事業化されていくのかといったプロセスを知ることができ、その成果に直接触れることができるという利点がある。さらに、そこで得たノウハウが自らの研究や教育に生かすことができるというメリットもある。企業にとっては、いわばオーダーメードの産学連携であり、自社の事情に即したきめ細かな開発を着実に進めることができる。良くも悪くも、互に関心を持たざるを得ないこうした産学連携のスタイルは、大企業向けというよりは中小企業やベンチャー企業にとって魅力あるスタイルではないだろうか。研究者と企業が直接に向き合うことにより、解決すべき課題を共有化し、それぞれの役割を確認することで協力関係が生まれていく。将来的には、RECだけでなく他の研究機関やインキュベーション施設、さらには公的な支援制度との連携も必要になろう。産学連携をキーワードに、ベンチャー企業や中小企業の活性化に結びつけることができれば幸いである。

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「中関村ハイテク開発区」のベンチャービジネスと大学の関係
神戸商科大学商経学部 教授 安室 憲一

《著者紹介》
  1947年生まれ。1974年神戸商科大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。久留米大学商学部講師、助教授を経て、1977神戸商科大学助教授、86年教授。国際経営論、多国籍企業論、貿易経営論などを専攻。1982年『国際経営行動論』(森山書店)で経営科学文献賞、1992年『グローバル経営論』(千倉書房)で日本公認会計士協会学術賞を受賞。最近は、中国企業の経営・人事雇用制度の調査研究に注力している。1999年には、(財)関西生産性本部・日中経済貿易センター・連合大阪との共著『中国の労使関係と現地経営』(白桃書房)を出版している。1993年博士(経営学)。

1.中国におけるベンチャーブームと政府の役割
 2年ほど前、中国では『1元で会社を作る方法』という書物が一時ベストセラーになった。中国の大学生の間で起業ブームが沸きあがったため、争って読まれた。熱病のような起業のうねりが中国全土を覆った。これに火をつけたのが、政府のベンチャービジネス育成政策である。中国政府は、総力を上げて、海外で顕著な業績を上げた研究者・技術者・教授・大学院生の帰国を奨励している。彼らには高い年収だけでなく、高級マンションや乗用車が与えられ、帰国に際しては担当員が飛行場まで出迎えるサービスを提供している。いまや中国は、北も南も、西も東も、いたるところでベンチャーブームが沸き起こっている。現に、われわれがインタビューしたベンチャービジネスの創始者たちは50-100万元の年収を得ていた。一般労働者の月給が600-1000元であることを思えば、ベンチャービジネスはまさに「チャイニーズ・ドリーム」にほかならない。
 社会主義時代は、終身雇用が保証され、様々な福利厚生施設が完備した一流の国営会社に就職することが大学生の夢であった。今はリスクが高く、雇用が不安定であっても、ストックオプションなどで一攫千金を狙えるベンチャービジネスが本命である。本来中国文化圏では、人に使われるサラリーマン人生は尊ばれない。刻苦勉励してビジネスを起業し、八面六臂の大活躍で巨万の富を築く人生こそが男子の本懐というものである。改革解放の進展、市場経済の発達とともに、この中国古来の伝統文化が目覚めたと言える。タイミングよく、コンピュータの連想集団(レジェンド)や家電の海爾集団(ハイアール)などが、わずか10年足らずで世界的大企業に台頭した。政府がベンチャー育成政策を取り、帰国留学生の優遇政策を重視する環境の中で、中国学生の間でベンチャーブームが起きないほうが不思議なのである。

2. 北京の中関村にみるインキュベーション・センター
 北京の中関村はアメリカのシリコンバレーに次ぐベンチャービジネスの集積地である。現在、開発区委員会は「2010年までに世界一流のサイエンスパークになる」という目標を掲げ、その実現に尽力している。
 中関村のハイテク開発区は、1978年の改革開放以来、大学生が中心となって作った民営開発区がその出発点である。1988年に正式に国のハイテク開発区として設立された。10年たった今日では1万社のベンチャーが集積している。このうちIT関連のベンチャーが全体の70%を占めている。
 開発区は、中心地区が75キロ平米、全体で280キロ平米の広さがある。開発区全体で36万人が働いている。そのうち大卒は15万人を占めている。年率成長率は30%である。この開発区には60以上の大学(とくに北京大学・清華大学が有名)と200以上の国立研究所がある。現在、大学生が30万人学び、科学研究員が10万人働いている(北京市政府中関村技園管理委員会 王立平氏談)。
 開発区のハイテク企業は、3年間は法人税が免除され、4-6年目は半減の特典がある。開発区以外では所得税は30%だが、開発区内では15%に半減される。すでに帰国留学生2000人が800社以上のベンチャーを創業しているという。彼らは、所得税を除いた後の所得を外貨に変えて海外送金する権利も認められている。
 政府は3億元を投資して留学生インキュベーション・センター(「留学生創業園」)を設立した。センターは、創業を支援する「サポート基金」を提供、センターの施設を無償提供し(成果があがらなければ2年で打ち切り)、必要な部材・機器の無関税での輸入を認めている。センターの「サービス本部」は、ビザの確保から戸籍取得のサービス、住宅の確保から空港への出迎え、政府への関係書類の提出、共同事業のパートナー探しまで行う。

3. バイオベンチャーの事例
 次に、バイオベンチャーとして1998年に設立された「緯曉生物技術有限公司」の例を見てみよう。この会社は臍帯血を利用した幹細胞の研究によって白血病の治療薬を開発している。研究施設の面積は1万平米(4階建て)、106名いるスタッフのうち80%が大卒以上である。資本金1.5億人民元の出資者は民間人であり、国の資本は入っていない。
 この会社の雇用・報酬システムはフレキシブルである。北京大学医学部などで基礎研究をしている教授が成果を挙げ、製品化が可能と考えた段階でこの会社に「プロジェクト案件」を持ち込んでくる。評議委員会で検討し、ゴーサインが出ると、多額の研究資金が投資される。プロジェクト・リーダーは、その資金に基づいて、研究機材を揃え、研究スタッフを雇用する。プロジェクト・リーダーは自分自身の収入を含め、報酬の配分を自由に決定する。したがって、この公司は、ITベンチャーとは異なり、研究成果を直接ボーナス等に反映させる評価制度はもっていない。大学や研究所の乏しい予算ではとても完成できない開発案件を、巨額のリスクマネーの投入によって、一気に製品化に持っていくのがこの公司の役割なのである。この公司は全国50の大病院とネットワークを持っていて、新薬を迅速に提供し、白血病治療に成果を挙げている。

4. 日本でベンチャービジネスは勃興するか?
 ここでは、北京の中関村を中心に、中国のインキュベーション環境について述べた。この事例と比較すると、はたして日本政府は本気になってベンチャービジネスを育成する気があるのかと疑問に思ってしまう。社会主義の中国の方がベンチャー育成に熱心であり、体系的な対策を採っている。日本は社会主義以下の国なのだろうか。
 第1に、日本には挙国一致の『ベンチャー育成』基本政策がない。長期の国家戦略を立て、特定の集積地を育成し、大学を巻き込み、起業家に対する優遇税制を敷き、留学生(日本人・外国人)を厚遇し、専門のインキュベーション・センターを設立し、リスクマネーの提供を行わなければならない。現在のようなバラバラの政策では効果はない。
 第2に、大学教授や国立研究所のスタッフが、直接ビジネスを立ち上げることができる環境を作らなければならない。大学とベンチャー企業の間を自由に行き来できる制度が必要である。日本では技術系の研究者には自由が与えられたが、文科系(経済・経営系)の研究者の自由は著しく制限されている。ベンチャーの立ち上げは技術者である場合が多いが、それを育成するのは専門の経営者である。日本の政策は近視眼的であり、文科系の研究者を冷遇している。
 第3に、これは中国ベンチャー環境の最大の弱点だが、「ナスダック」のような新株上場による資金調達の道(IPO)が開けていないことである。したがって、ベンチャーが成長を始めて資金需要が大きくなると、資金ショートを起こし倒産するケースが少なくない。日本では、ベンチャーキャピタルの制度は整ったが、その「使い勝手」はアメリカに比べ著しく劣るようである。リスクマネーの供給に対し、税制を含めもっと柔軟な道を開かなければならない。
 第4に、中国のベンチャーは大学との繋がりを活用して、人材ばかりでなく資金の面でも大学に依存している例が少なくない。大学がリスクマネーを供給するため、ベンチャーの倒産は大学が不良債権を抱える結果を招く。このため、中国では大学本来の基礎研究が脅かされ始めている。日本のベンチャーは大学との繋がりが薄いため、こうした心配はないようだが、とても情けない話である。大学が起業に関して主体的な役割を果たさない限り、日本のベンチャーは「ブーム」になる前に息絶えてしまうだろう。
 日本人は元来、リスクをとることが不得意な民族である。安定志向の大学生や教授にはベンチャー起業は期待できない。安易な外国の模倣ではなく、自国の社会的・文化的特質を踏まえたうえで、日本に適した方法を注意深く模索する必要があるだろう。

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「アントレプレナー精神を育てる京都工芸繊維大学のベンチャーラボラトリー」
京都工芸繊維大学電子情報工学科教授
ベンチャー・ラボラトリー施設長    西野 茂弘 氏

この紙面を借りて、本学のベンチャーラビジネスボラトリーの現状を紹介します。
 京都工芸繊維大学大学院ベンチャー・ラボラトリー(VentureLaboratory,KIT-VL)は平成7年度政府補正予算「大学院を中心とした独創的研究開発推進経費」により設置され、非常勤研究員、登録学生の採用を平成8年から始め、本年度で6年目を迎えています。この施設は5年を経過してその成果の問われる頃となってきました。全国の約35の国立大学に設置されています。VL設立の趣旨は以下の4点となっています。1.大学院学生の知性と活力を開拓しつつ、将来の産業を支える基盤技術についての研究開発プログラムを推進、2.高度の専門的能力を有し、ベンチャー精神に富んだ創造的人材の育成、3.地元の企業等との連携を積極的に推進、4.専用の教育研究施設設備を整備。KIT-VLは6年目を迎ますが、この初期の趣旨がどの程度実現されているかを検討する時期にきていると思います。理念を如何に実現していくかが今後の課題であると考えます。
 この施設は本学大学院工芸科学研究科に属する大学院学生が中心となり、従来の各専攻の研究分野に捉われることなく独創的な構想力の強化を図るベンチャー精神涵養の「場」として設定されました。KIT-VLの研究推進プログラムは設立当初から昨年(H13)まではa:「昆虫機能を基盤とする生産物質の有効用」b:「未来型調和エコシステム創出を目ざすエネルギー物質循環系の研究」c:「生物生産システムをミミックする高機能物質の精製と解析」の3テーマでした。本学VLのテーマは他の大学と違って、昆虫を主体としてスタートしました。したがってVLの主な設備はいわゆる生物系の研究に力点をおいたものです。ここでaがメインテーマ、b、cがサブテーマとして採用されました。またこれらのプロジェクトを推進する登録大学院学生数は毎年30名程度です。bのプロジェクトはVLに設備がほとんどないにも関わらず登録学生数が増加しており、その健闘振りがみられます。また非常勤研究員は各年度ほぼ10名を採用しております。どの年度にも数名の外国人ポスドクが常に採用されており、VLの国際性が維持されています。また外国人講師による講演も毎年数回開催しております。VLに研究設備の整っているテーマを選んだ学生諸君はVLで集中的に研究できるので、「集中研究グループ」、またVLに設備がなくテーマを持ち帰り各支援教官の研究室に分散して研究するのを「分散研究グループ」と呼びます。この「集中研」、「分散研」の両グループの交流を積極的に行う場として、「ベンチャーラボラトリー演習」(専任教官、2単位)を設けています。この演習はオーラルプリゼンテーションンを主体にしたもので、学生諸君が異分野の研究発表を聞き、議論することによって異分野での発想を学んでいます。これは通常の大学院のカリキュラムでは用意されていないところであり、ベンチャーラボラトリーの特徴とするところです。日本の大学のカリキュラムでoral presentation とdebateが不足していることは長年指摘されております。その意味でこの演習はユニークな位置付けであります。実社会の中では大学での専門科目が必ずしも自分の職場に与えられるとは限りません、やはり役に立つのはこのような異業種との交流での耳学問、境界領域を見渡せるような研究の場が役立つものと思われます。また元金融関係の仕事をされていた非常勤講師による「産業技術論」は学生に好評で、やはり企業経験者のお話は説得力があるようです。また知的所有権などについては学内の先生で企業経験者や関西TLOの講師による集中講議の形で行っている。すでに登録学生の提案により、特許化が進行中です。
 昨今、大学のカリキュラムにおいてはインターンシプの必要性が問われています。毎年各企業でのインターンシップを選択する学生が増えてきています。これは実社会で実学を勉強することに意義があるとされているからです。ベンチャー精神とはどのような形で形成されるのか、教育カリキュラムとともに考える必要があります。昨年度から今までのプロジェクトの成果を踏まえ、さらに大学院学生に刺激を与え活性化を図るために、研究 プロジェクトのテーマに沿った分野において支障のない範囲で「VL未来創造事業」と 名付けてベンチャー・ラボラトリーに共同研究等の場所を単年度計画として提供しています。すでに5件のテーマが採択され企業のプロジェクト研究員が活動しています。これはある意味での学内インターンシップと言えるかもしれません。つまり学外に出なくても、VLの中で企業の人の研究態度を知ることができるからです。
 KIT-VLは、鉄筋3階建、延床面積1500m2の極めてモダンな建物で、西キャンバス北側にあります。大学院学生居室と実験研究室、本学に初めて本格的なバイオクリーンルーム(P2グレード)などが設置され、登録学生が利用しています。さらに各階にはセミナー室やラウンジ、リフレッシュコーナーなどが設けられ、大学院学生が相互に交流を図り活発なプレインストーミングを通じて、幅広い思考が行えるよう自由に使用できる専用スペースが確保されています。実験設備は主にメインテーマを支援するためのもので、主な研究設備は、三次元構造高精密解析システムとして、500MHz-FTNMR装置(核磁気共鳴)とその関連機器類、また微量物質高精密分離解析システムとしてGC-MS、LC-MSなど質量分析機器とその周辺機器類が、1階部を中心に整備されています。また2-3階部には、先端的生体成分調製システムとしてDNAシーケンサー、イメージスキャナ、各種遠心機、分光光度計、各種培養装置、人工気象器、凍結乾燥機、各種顕微鏡、薄膜の光学的性質を調べるエリプソメーター(DVA-FL)、触針型表面荒さ計(Dektak3)などが適宜配置されております。したがってメインテーマに関してはこのVLの設備で十分に研究が遂行できる体制にあります。しかし、他のサブテーマに関しては少しづつ設備を揃えてきていますが、大形予算の確保は困難であり、設立時の設備を用いての多くの成果が期待されます。これらの設備を十分に活用してKITとしてKIT-VL発の新しい研究成果がでることを期待しています。
 本年度(H14)からは今までのプロジェクトを更新し、以下の3研究プロジェクトとしてスタートしています。(1)昆虫機能の有効利用研究の新展開、(2)情報・エネルギー用途先端デバイス・回路の創製、(3)環境調和型高機能材料の分子設計・合成および評価。これらのテーマに合計33名のがVL登録大学院学生としての活動を開始しています。ベンチャラボにおいてどのようにすればアントレプレナー精神が涵養できるかについては今持って模索中です。やはり登録大学院生が常にベンチャーラボラトリーの中にいて、研究活動をするのが望ましい姿だと思いますが、大学院生の所属はそれぞれの専攻ですので、基本的にはVLでの設備を使用することになってしまします。しかし、VLでの活動にincentive fundとしてわずかの研究費をあてていますが、魅力ある額にするには活動の拠点をどこにするかとの問題もあり、まだまだ議論のあるところです。日本の大学のVBLとStanford大学のCenter for IntegratedSystemやMITのEntrepreneurship Centerなどと比較して議論するのは専任教官の数、事務職員の数、設備維持費およびそれに社会環境の相違点などを考慮する必要があります。日本流のベンチャービジネスラボラトリーの見本ができるには時間はかかると思いますが、それぞれの大学で真摯に取り組まれており、近い将来に真のベンチャーラボが誕生すものと思います。本学のVLもそれに向かって邁進します。本学のベンチャーラボの登録大学院学生が他の一般の大学院学生よりも高く評価されるような実績が積み上げればVLの役割が果たせていることになると思います。ベンチャーラボラトリーはアントレプレナー精神を涵養する「場」であり、それに相応しい環境を整備していくのが教官の役目であると考えています。

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「起業家精神が社会を支えている」
立命館大学経営学部助教授 Ph.D. Candidate 黒木 正樹

黒木 正樹(くろき まさき)
1962年広島生まれ、1990年12月Gonzaga大学MBA(経営学修士号)所得、ネブラスカ州立大学オマハ校国際学部講師、1995年〜1999年3月ニューヨーク州レンセラー工科大学博士課程単位所得。1999年4月立命館大学経営学部専任講師。2002年4月より現職けんベンチャーインキュベーション推進委員会事務局長。
専門分野:日米ベンチャーキャピタルの比較、米国の起業家研究、日米のベンチャー企業の比較。
主な論文:「アメリカの保守的地方都市における一大学の起業家育成環境とそのキーポイント」共著黒木正樹、市原健史 日本ベンチャー学会誌2001:8月;「起業家精神とベンチャーキャピタルの経済発展への影響」単著 立命館経営学 第40巻 第2号2001 7月、
「Emerging Trends in the Japanese Venture Capital Industry」共著 黒木正樹、マーク・ライス、ピアー・アベティJournal of Private Equity 2000 Winter

 近年多くの調査が、ベンチャー企業の育成とそれらの活躍する土壌の形成がアメリカ経済復活の最大要因であると提唱している(小野1997;松田1999)。もちろんそれはある面では正論であるし、その調査に基づいて大学を始めとする教育機関がベンチャー企業の育成や起業家教育に力を入れ始めるのはなんら間違いではない。しかし本日はこの欄を通じて述べ12年間に及ぶアメリカで私が受けた教育と研究からみた起業家精神について少し述べさせて頂きます。むろん私が受けた教育がアメリカの状況を正しく伝えているとは100%言いきれませんが、少なくともアメリカ社会において高い評価受けている研究機関(レンセラー工科大学)とその関連組織からみた起業家精神について述べさせていただきます。
 アメリカでは1950年代に、オーストリアから移民してきたJ.A.シュンペーター(イノベーションによる創造的市場均衡の破壊を提唱。1951)が、アントレプレナーの活躍によって新しい需要が喚起され新しい市場が創造されると言うことをアメリカ社会で唱えだし、1960年代1970年代にはシカゴ大学のKirznerらが市場における経済活動上のアントレプレナーの先見性に目を向けて、経済学会・経営学会での「アントレプレナー研究」が発展し、今日2002年多くのアントレプレナーが活躍する社会(年間約90万社が創業されている:Small Business Statistics 2000)へと発展してきている。以来アントレプレナー精神(起業家精神)の研究対象となる組織や人は、幅広いものである。たとえば、ハーバードケース(1991)によるとGEのジャク・ウエルチ会長は、1980年GE再生のための企業哲学として、オーナーシップ(組織内において責任を進んで取り、意思決定を行なう精神)、スチュワードシップ(GE内におけるすべての資産と人的資源をすべて使っていこうとする任務精神)そしてアントレプレナーシップ(競争に打ち勝つ気を持ち続ける精神)と言う3つの精神の企業内における復活を中心として様々な改革と新規の取り組みを行なうことにより、1980年代後半以降のGE復活へと結びつけていったと言う。この時、ウエルチはアントレプレナーシップを巨大企業(GE)内に欠けている最重要課題の一つと認識し、その回復に対処している。また、実哲也氏は著書「米国 草の根市場主義」の中で、華々しく活躍するマイクロソフト社や株式会社ヤフーと言ったベンチャー企業ではなく、レストランやパーティ−での余りモノをホームレスや身寄りのない貧しいお年よりに配るシティ−ハーベストと言う非営利団体の活躍や、ミシシッピー州の貧困と高失業率にあえぐトゥニカ郡が、カジノタウンとして郡の立て直しに成功する様子等を描写して、アメリカ社会と経済の力強さは、起業家精神に溢れる名もない小企業や非営利団体の中にあることを紹介している。また黒木は、1998年の日本ベンチャー学会で、アメリカのカフマン財団と言った私的財団等が社会的に弱者の立場にある子供達が、自らを取り巻く家庭環境の問題(崩壊した家族関係、家庭内暴力)やアルコ−ル中毒、麻薬中毒と言った問題に対して、起業家精神(アントレプレナーシップ)を持って対処していく大切さを唄った様々なプログラムをサポートしていることを紹介した(黒木、1999)。さらにその報告は、「自分の人生を幼児期より見つめさせる習慣を身につけさせ、人生を自主設計できる大人をつくりあげることがアメリカにおける起業家精神の最たるものである」と唱えている。

 一方日本社会では、1960年代には企業家(起業家ではない)の研究として松下幸之助、本田宗一郎、そして渋沢栄一らの成功を分析して、日本社会におけるアントレプレナー(企業家)の研究に一つの流れを作りだした。1960年代から1990年代始めの主だった企業家研究は、成功して巨大な企業を作り上げた人達だけに目が行き、その他の事業経営者(中小企業オーナー)を企業家と見なさない状況が続いていたように考えられる。そして1990年代中ごろより起業家精神と言う言葉が頻繁に使われだし、以降多くの研究者が起業家精神や企業家精神の言葉の定義付けと効用を曖昧のままに今日に至ります。本論ではどちらの表現が正しいのかと言った論争は避けアントレプレナー精神(起業家精神)をどのように捉えるべきかを、先に見たアメリカの例を採り本論を終えたいとおもいます。多くの人が承知するようにアメリカ社会では個人の価値観と責任を幼少の頃より教えられ、その様な人達を中心として、社会が成り立っているといえます(多くのアントレプレナー輩出)。つまり自立する力を持つ人材教育にもとづく起業家精神の普及に努めているのです。翻って我が国では、小学教育よりグループ活動と行動を是非と教えられ、個人の自立を促さない教育制度(小学時代のグループによる給食当番と掃除の分担そして、中学高校時代の同じような体制の維持により日本人は常にグループに属するこを教えられます。【もちろんこれらの制度には良い面もあります。】)の中において、近年起業家精神の価値を教えられ、社会状況(高失業率や経済成長の鈍化)による政府の政策の一間としての起業家精神の普及に踊らされているのではないでしょうか。ベンチャービジネス論を大学の正規授業の一つとして教える者として「起業家精神」の注目度が上がり、その精神が広がることは大変ありがたいことです。しかし、起業家精神をベンチャー企業家にだけ見つけ、ベンチャー企業を起こす人だけに起業家精神を応用するのは少し偏った考えと思います。結論としては、「アントレプレナー精神(起業家精神)」を「社会の出来事に対して(自分の人生に対して)真正面から捉え、解決しながら生きていく個人のチャレンジ精神」と捉えてもらいたいのです。そのような多くの個人を育てることの中にこそ次世代の豊かな社会(起業家精神に満ちた社会)が創造されると考えます。

参考文献
Schumpeter, J.A. (1951) "Change and the Entrepreneur," in Essays of J.A. Schumpeter, ed. Richard V. Clemence (Reading, MA: Addison-Wesley, p225.
小野 正人 「ベンチャー起業と投資の実際知識」東洋経済、1997
実哲也 「米国草の根市場主義」日本経済新聞社、1998
米国Small Business Statistics 2000
松田 修一「ベンチャー企業」日本経済新聞社、1999
ハーバード大学ビジネススクール:GEケイス1991
黒木正樹「起業家理論教育における個人的財団」日本ベンチャー学会誌、1999

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イノベーション・リーダーを育てる  大阪市立大学の新大学院
大阪市立大学教授・新大学院開設準備副委員長 塩沢 由典 氏

 1943年長野県生まれ。京都大学理学部数学科・同大学院修士課程終了。同理学部助手。フランス留学中、経済学に転向。京都大学経済研究所助手を経て、大阪市立大学助教授。1989年、大阪市立大学経済学部教授、2001年より現職。
 複雑系経済学の提唱者。進化経済学会副会長。「複雑系経済学入門」(生産性出版、1997)は、複雑系経済学の成果を一般の人に分かりやすく解説している。金融市場研究のための共通プラットフォームとして人工先物市場U?Martを提案、現在同研究会代表。
 社団法人関西ニュービジネス協議会発足以来、NBK大賞審査委員長を務めるほか、関西経済の活性化に向けた提言や研究を行っている。
 早くからベンチャー・ビジネスの重要性を説き、1989年度大阪市立大学企画講座「ベンチャービジネス論」を主宰。2001年、関西ベンチャー学会を設立、初代会長に就任。
 著書に「市場の秩序学」(ちくま学芸文庫、サントリー学芸賞受賞)、「複雑さの帰結」(NTT出版)、(編)「大学講義ベンチャービジネス論」(阿吽社)、(編)「進化という方法」など。

 大学がベンチャー育成・ニュービジネス振興に貢献できる場面が増えてきた。関西では3つのTLO(関西TLO、ひょうごTLO、大阪TLO)が動きだし、大学の技術を産業界に移転する活動を始めている。大阪市立大学にも、遅ればせながら、研究交流相談室や産学連携委員会ができ、来年度には学内にインキュベータも設置される。
 市立大学では、1989年度の企画講座「ベンチャービジネス論」を始めとして、商学部・経済学部・工学部などで学生向けのベンチャー講座が開かれてきた。そうした努力と社会の空気の変化から、学生たちの考えも大きく変わりつつある。昨年末には、学生たちの「ベンチャー・クラブ」も結成された。昨年10月には、市大と神戸大の学生が中心になり、アイデアよりもビジネス構築能力を磨きあげるというコンセプトで、ビジネス・コンテスト「デルタ」が開催され、大成功だった。この開催に当たっては、関西ニュービジネス協議会の理事の皆様から大変なご協力をいただいた。厚く御礼申し上げる。
大学がベンチャー育成・ニュービジネス振興に貢献できるもうひとつの場面は、起業家精神の発揚である。これは単なる精神訓話で終わるものではなく、ベンチャーという難しい企てを成功させるだけの専門知識に裏付けられたものでなければならない。大阪市立大学が大阪駅前に2003年4月開講を予定している社会人向け大学院は、こうしたイノベーション・リーダーを社会に送りだす機関として構想されている。
 新大学院の全容は、別表の通り。3つの専攻・8つの研究分野を抱える社会人向け大学院で、教員規模では全国1・2という大規模なものだ。学生数も従来の大学院のイメージを一新し、第一線の社会人を毎年160名も迎え入れる。
この大学院は、従来の社会人大学院とは大きく異なる特徴を持っている。その基本コンセプトは、「イノベーション・リーダーの輩出を通して都市経済の発展に寄与するとともに、新しい学問形成のモデルを創出する」である。新旧の対比を簡単にまとめると、以下のようになる。

新大学院の特色(新旧対比)
・社会人でも入れる=>社会人のための大学院
・役に立つ筈だ=>明確な達成目標(潜在的可能性に頼らない)
・知識提供型=>問題解決・問題発見型
・目的・目標がばらばら=>分野ごとに問題関心の収斂した学生を集める。
・教員が教育・研究にチームとして取り組む(個人商店=> 8つの専門店モールへ)
・知識の切り売り=>社会に分散する知識を集約、体系化・理論化する。

 新しいブドウ酒は新しい革袋に入れよということわざがある。授業体系も、従来の大学院とは大幅に変える。新大学院では、主要科目を短時間でコンパクトに学習できるようにするとともに、各研究分野にそれぞれワークショップを置き授業体系の中核とする。ワークショップでは、毎回、当該問題の第一人者を講師にお招きし、講演・質疑応答のあと、教員・学生が討論してまとめる。
 新大学院の運営も、従来のものから一新される。まず、教員構成・講師・プロジェクト研究などで、外部との有機的連携を図るとともに、研究科に外部委員からなる諮問委員会を設ける。これは、運営・基本方針・カリキュラム・その他について、外部と学生の意見を尊重・反映させるためのものである。教員の任期制や研究分野の評価、改廃についても、どのような制度が望ましいか検討している。
8つの研究分野は、それぞれ具体的な養成目標を掲げている。アントレプレナーシップ研究分野は、ベンチャー起業家を育てることを目標としている。2年間に技術や社会の動向を見極め、先輩起業家たちの精神に触れることで、修了後は、ベンチャー起業や第2創業に取り組んでもらう。システム・ソリューション研究分野では、情報・通信システムを導入するだけでなく、それを生かすために社内の業務改革を進められる人材の育成を目指している。
 ベンチャーに関係するのは、アントレプレナーシップ研究分野だけではない。アジア・ビジネス研究分野では、アジアから実務経験のある留学生を迎えて、2年間で人脈を築いてもらい、修了後は大阪で開業してもらう。情報メディア環境研究分野では、情報技術・メディアを生かした新ビジネスを創造する人間を育成する。修了者には、社内であれ、社外であれ、新しいビジネスの創造に取りくんでもらう。
営利ビジネスとは異なるが、都市公共政策専攻では、行政やNPOのイノベーション・リーダーの育成をねらっている。かれらは非営利部門におけるベンチャー起業家だといえる。
 このような構想を現実にするために、みなさんのご協力をぜひお願いしたい。まずは、生きのいい学生を紹介・派遣して下さることをご検討ください。のれん分けを準備させるつもりで勉学の機会を与えて下さればと考える。社内改革の担い手を育成するよい機会にもなろう。

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